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【クラシック大全第2章】振付家でみる名作バレエ〜ルドルフ・ヌレエフ
初回放送 9月13日(火)21:00~22:40
1961年6月16日パリのル・ブルジェ空港で起きたルドルフ・ヌレエフ亡命事件。この番組は、事件に繋がる7ヶ月間に起きた出来事を、存命の当事者たちの証言と共に再現した迫真のドキュメンタリー・ドラマ。ヌレエフにはボリショイ・バレエのプリンシパルのアルチョム・オフチャレンコ。ヌレエフの亡命は1961年キーロフ・バレエのパリ・ツアーで起きた。この運命のツアーでヌレエフのパートナーを務めたアラ・オシペンコやキーロフでの彼のライバル、セルゲイ・ヴィクーロフ、ヌレエフと個人的に親しかったダンサー&振付師ピエール・ラコットとギレーヌ・テスマー夫妻、ツアーを監視していたKGB士官、さらにクララ・セイントの音声インタビューなど、事件の多くの当事者たちの証言は必見。ツアーでヌレエフと同室で1977年に自殺したユーリー・ソロヴィヨフの未亡人、タチアナ・レガート(英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル、サラ・ラムの師匠)のコメントも重い。本人の運命を変えたばかりでなく、彼を取り巻く人々の運命をも大きく変えてしまったヌレエフの亡命事件。BBC放送後、日本でもインターネットで話題を呼んだ番組を、字幕で見られるのはクラシカ・ジャパンだけ!バレエファンならずとも必見。
[出演]<ドラマ>アルチョム・オフチャレンコ(ルドルフ・ヌレエフ)スヴェトラーナ・スミルノーワ(クララ・セイント)アルチョム・ヤコヴレフ(ユーリー・ソロヴィヨフ)ユーリー・ウトキン(ヴィタリー・ストリゼフスキー)デニス・アリエフ(ピエール・ラコット)ウラジーミル・チェルニチョフ(コンスタンチン・セルゲイエフ)スヴェトラーナ・ベドネンコ(アラ・オシペンコ)ナタリヤ・グリゴルーツァ(ナタリア・ドゥジンスカヤ)<本人>アラ・オシペンコ(元キーロフ・バレエ団プリマバレリーナ)セルゲイ・ヴィクーロフ(元キーロフ・バレエ団プリンシパルダンサー)ワジム・デスニツキー(元キーロフ・バレエ団ソリスト)マリーナ・ワシリエワ(元キーロフ・バレエ団バレリーナ)ガブリエラ・コムリョーワ(元キーロフ・バレエ団プリマバレリーナ)タチアナ・レガート(元キーロフ・バレエ団バレリーナでユーリー・ソロヴィヨフの妻)ピエール・ラコット(ダンサー、振付家、ヌレエフの友人)ギレーヌ・テスマー(元パリ・オペラ座バレエ団エトワール)
[監督&脚本]リチャード・カーソン・スミス
[制作]2015年
初回放送 9月5日(月)21:00~22:05
ルドルフ・ヌレエフの生涯を、彼と関わりのあった人物のコメントや貴重映像と共に辿るドキュメンタリー。1938年3月17日、中央アジアの流れを汲むタタールの家系に生まれたヌレエフは、父親の赴任先に向かうシベリア鉄道の車内で生を受けた。幼少期にバレエに目覚め、17歳で名門ワガノワ・バレエ・アカデミーに入学、その後、キーロフ・バレエに入団。しかし、反逆児として体制側に目をつけられ、1961年キーロフのパリ公演直後に空港で突然の亡命を果たす。以降、1993年1月6日に54歳という絶頂期にAIDSによる合併症で亡くなるまで、世界最高のダンサーとして、そして古典バレエを変革した振付家として活躍した。番組では、貴重映像と共に、彼と関わったさまざまな人物が語るコメントが必見。キーロフの欧州ツアーの前に派遣されたソ連でヌレエフに魅了され、彼をツアーメンバーとして招くことに成功した制作ディレクター、ジェニ・ランゲは、ヌレエフ亡命の瞬間に隣にいた人物。1983年ヌレエフがパリ・オペラ座バレエ芸術監督任命にまつわる政治的ないざこざを、前フランス文化相ジャック・ラングが語る。さらにAIDSと診断されてからのヌレエフのパーソナルドクターのミッシェル・カネジや、ヌレエフに見出された現ボルドー・バレエ芸術監督シャルル・ジュドなど、そのエピソードの数々は当時の歴史やヌレエフの人間性を描き出す。
[監督&脚本]ソニア・パラモ
[制作]2008年
初回放送 9月19日(月・祝)21:00~22:55
ルドルフ・ヌレエフ(1938~1993)の生誕75周年と没後20年の2013年に、ヌレエフの類稀なる才能に敬意を評し、その人生を祝福するべく、バレエ界のスターダンサーがパリに一同に会した華やかなバレエ・ガラ公演。後援はルドルフ・ヌレエフ財団。公演の芸術監督は、ヌレエフに見出されたパリ・オペラ座バレエ元エトワールで現在ボルドー・バレエ芸術監督のシャルル・ジュドと、ジョージア出身で英国ロイヤル・バレエのプリンシパル、デヴィッド・マッカテリ。ヌレエフの当たり役から自ら振付けたものまで、その生涯の中で重要な作品の有名なパ・ド・ドゥが次から次へと展開する。その他、パリ、ロンドン、モスクワ、サンクトペテルブルク、ベルリン、アムステルダムから人気ダンサー集結。指揮はマリインスキー劇場のヴァレリー・オヴシアニコフ。ビデオプロジェクションによる美しい舞台も見どころ。会場はパリの国際会議場「パレ・デ・コングレ」。ヌレエフの偉大さを感じながら、世界のトップダンサーたちの妙技に酔いしれる番組。
[演目]『ラ・シルフィード』第2幕「パ・ド・ドゥ」
[振付]オーギュスト・ブルノンヴィル
[出演]ヤーナ・サレンコ、マリアン・ヴァルター
[演目]『ラ・バヤデール』第2幕「影の王国~パ・ド・ドゥ」
[振付]マリウス・プティパ
[出演]エフゲーニャ・オブラスツォーワ、エフゲニー・イワンチェンコ
[演目]『マノン』第1幕「寝室のパ・ド・ドゥ」
[振付]ケネス・マクミラン
[出演]タマラ・ロホ、フェデリコ・ボネッリ
[演目]『HETのための2つの小品』
[振付]ハンス・ファン・マーネン
[出演]マイヤ・マッカテリ、レミ・ヴェルトマイヤー
[演目]『ライモンダ』第3幕「グラン・パ・クラシック(ライモンダのパ・ド・ドゥ)」
[振付]ルドルフ・ヌレエフ
[オリジナル振付]マリウス・プティパ
[出演]オレリー・デュポン、マチアス・エイマン
[演目]『眠れる森の美女』第3幕「パ・ド・ドゥ」
[振付]マリウス・プティパ
[出演]エフゲーニャ・オブラスツォーワ、ドミトリー・グダーノフ
[演目]『マンフレッド』第4場「詩人のヴァリアシオン」
[振付]ルドルフ・ヌレエフ
[出演]マチアス・エイマン
[演目]『マルグリットとアルマン』より
[振付]フレデリック・アシュトン
[出演]タマラ・ロホ、ルパート・ペネファーザー、ジェイムズ・ストリーター
[演目]『白鳥の湖』第2幕「白鳥のアダージョ」
[振付]マリウス・プティパ&レフ・イワーノフ
[出演]ダリア・ヴァスネツォーワ、エフゲニー・イワンチェンコ
[演目]『海賊』パ・ド・ドゥ
[振付]マリウス・プティパ
[出演]アレクサンドラ・チモフェーエワ、ワディム・ムンタギロフ
[芸術監督]デヴィッド・マッカテリ、シャルル・ジュド
[指揮]ヴァレリー・オヴシアニコフ
[演奏]パドルー管弦楽団
[収録]2013年5月31日&6月1日パレ・デ・コングレ(パリ)
初回放送 9月12日(月)21:00~22:55
クラシック・バレエの代名詞『白鳥の湖』を、20世紀を代表する2人の偉大なダンサー、ルドルフ・ヌレエフとマーゴ・フォンテインが踊った永久保存版。ヌレエフ28歳、フォンテイン47歳の、まさに「奇跡のパートナーシップ」を見る歴史的映像。1961年西側に亡命したヌレエフは、その3年後にウィーン国立歌劇場で自身とフォンテインが出演する『白鳥の湖』の振付を行う。1877年ボリショイ初演版のウラディーミル・ベギチェフ&ワシリー・ゲルツァーの台本に基づき本人が演出も行っているため、現在一般的に上演されるプティパ&イワーノフ版(台本はモデスト・チャイコフスキー)とは構成も振付も異なる。ヌレエフ版はジークフリートに見せ場が多く、音楽の使用法もドラマティック。道化も宮廷の友人も登場せず、あくまで王子の目を通した物語になっているところがポイント。そしてラストはジークフリート一人が溺れ死ぬ悲劇となる。鋼のようなバネを持つヌレエフの跳躍の高さや回転のスピード感は圧巻。ダイナミックなカメラワークも映画版ならでは。今見ても『白鳥の湖』の価値観や印象が変わる、衝撃のヌレエフ版映像。
[振付&演出]ルドルフ・ヌレエフ
[音楽]チャイコフスキー
[指揮]ジョン・ランチベリー
[演奏]ウィーン交響楽団
[出演]マーゴ・フォンテイン(オデット/オディール)ルドルフ・ヌレエフ(ジークフリート王子)ウィーン国立歌劇場バレエ団
[撮影]ギュンター・アンダース
[監督]チオルック・ブランス
[制作]1966年
初回放送 9月26日(月)21:00~23:10
ボリショイ・バレエから英国ロイヤル・バレエへの移籍が話題を呼んだナタリア・オシポワのキトリと、マリインスキー劇場からミハイロフスキー劇場バレエに移籍したレオニード・サラファーノフのバジルが必見。二人のジャンプの高さと滞空時間の長さ、とにかく伸びやかでダイナミックな動きに、目が奪われる。オシポワは、その長い手足と抜群のスタイル、桁外れのバネと身体の柔軟性、そして目が回るような回転の速さなど、体操をやっていたという彼女ならではの躍動感が凄い。サラファーノフも軽妙でシャープな動きがバジルにピッタリ。自らが優れたダンサーであったルドルフ・ヌレエフ版は、全体として男性が見どころ満載。脇役やコール・ド・バレエ一人一人まで、人間の生命力が打ち出された振付。大成功を収めたミラノ・スカラ座2014年9月話題の公演。
[振付]ルドルフ・ヌレエフ
[音楽]ミンクス
[指揮]アレクサンドル・ティトフ
[演奏]ミラノ・スカラ座管弦楽団
[出演]ナタリア・オシポワ(キトリ)レオニード・サラファーノフ(バジル)ジュゼッペ・コンテ(ドン・キホーテ)ジャンルカ・スキアヴォーニ(サンチョ・パンサ)ミラノ・スカラ座バレエ、他
[収録]2014年9月25日&27日ミラノ・スカラ座
ルドルフ・ヌレエフ~20世紀最大のスターダンサー
旅することと、喝采を浴びること。この二つがスターを他と分かつものであるならば、ルドルフ・ヌレエフほど、人生の最初の瞬間からそう運命づけられていた人は他にないだろう。
ルドルフ・ハメトヴィチ・ヌレエフが、タタール系の一家の、三人の姉に続くはじめての息子として生まれたのは1938年3月17日、極東ウラジオストクへ向けてバイカル湖畔からイルクーツクの間をひた走るシベリア鉄道の車内だった。そう聞いて多くの人が思い描くのは、どこか寒々しく、わびしくさえあるモノクロ映像のような情景ではないだろうか。けれども実際には、夫や父の駐屯する地へと向かう軍関係者の家族を満載した列車は期待にあふれており(臨月だったヌレエフの母と3人の姉も、そうだった)、その中で誕生した新しい生命は、単調な旅路の間の最高の“ショー”であり、手放しの祝福を受けるものだったのだ。
タタール系の人々の多く住むバシキール自治共和国のウファで育ち、まず民族舞踊を習い、17歳のときにレニングラード・バレエ学校に入学。その際に教師からは「素晴らしい踊り手になるか、全くものにならないかの、どちらかだ」と言われたそうだが、その前者が、おそらくこれを口にした本人も予想すらしていなかったであろうスケールで成就するのは、後の世代の知るとおりである。じつはこの教師のセリフは、「…おそらく後者でしょうけれど」と続いたのだが。
卒業後には、キーロフ・バレエに入団。踊り手としての彼の傑出した力量は、すでに明らかだった(この時期に彼をコーチとして指導していたのが、後にボリショイに転じてソ連バレエ界の最大の立役者となる振付家、ユーリー・グリゴローヴィチである)。そもそも鋭敏な音楽性に恵まれていたこと、舞踊への入り口がより変化に富んだ動きと激しさを持つ民族舞踊であったこと、そしてステレオタイプに疑問を持つ審美眼や知識欲、気性の激しさは、ヌレエフをたちまちプリマ・バレリーナの相手役の地位に引き上げた。が同時に、それらの資質は、帝政ロシア時代の偉大な伝統を引き継ぎ、それゆえの保守的な権威や洗練されたアカデミズムにおいては比類のなかった同団において、彼を異端者として警戒される立場にも追いやった。
そして来るのが、1961年6月、キーロフのバリ公演の際の亡命である。ル・ブルージェ空港でKGBの追跡を逃れて果たしたその亡命劇は、かつて映画『愛と哀しみのボレロ』でジョルジュ・ドンによって演じられ、そして今また、新たなドキュメンタリー・ドラマとしてボリショイ・バレエの新鋭アルチョム・オフチャレンコによって再現される。今では現代史の中の言葉としてだけ生きている、東西冷戦たけなわの時代のこと。ソ連バレエ界の秘蔵っ子の“自由への飛翔”は、政治問題として世界の新聞の一面を飾った。
亡命直後のヌレエフの踊りを知るなら、なんといっても、マーゴ・フォンテインとの『海賊』のパ・ド・ドゥだろう。当時の西側の男性ダンサーの水準をはるかに凌駕する跳躍や回転のテクニック、猫科の動物に例えられるしなやかで妖しく、エキゾティックな個性。そして、英国最高のバレリーナと謳われ、その後長きに亘って“世紀のパートナーシップ”を確立してゆく淑女のごときフォンテインを、その手のうちに絡めとっていくかのような官能性。一度見入ってしまうと、過剰なエネルギーが型をつい内側から突き崩してしまうような踊りぶりも、時に粗いところもあるテクニックの難も、そんなことはどうでもよい、という気分になってしまう。目もくらむようなカリスマとは、まさにこういう人のことをいうのである。彼がしばしば伝説のニジンスキーに例えられ、世界を飛び回って空前のバレエ・ブームをもたらし、ポップ・スターのような、あるいはセックス・シンボルのような扱いを受け続けた(実際、いかにもその地位にふさわしい派手な交友関係やスキャンダルにも事欠かなかった)のも、もっともなことだった。
振付家としてのヌレエフも、もちろんダンサーとしてのこうした個性抜きには語れない。たとえば、『白鳥の湖』。ヌレエフは革新性の一方で19世紀のロシア古典作品に格別の敬意を抱き、現代流のアレンジを加えつつ常に光を当てておくのを好んだ。1964年にまずウィーン国立歌劇場バレエでこれを手がけた際には、「白鳥は王子の投影であり、物語はすべて王子の周りで起こる」と考えた。王子の踊りの数も増やし、まさに自身が主役を踊るための『白鳥の湖』だったのである。のちにパリ・オペラ座で全面改訂した“フロイト的”と称される演出では、王子の家庭教師がすなわち悪魔であり、王子も、彼が夢に見る存在であるオデット/オディールをも操る絶対的な存在として登場する。演出するだけでなく、彼自身もこの役を何度も踊っているのは、当然というべきだろう。
一方、もっとストレートにヌレエフの華麗なダンス・テクニックの集大成のような趣があるのが『ドン・キホーテ』である。全般にステップの密度が濃く、特に男性のアレグロでは床に足が着いている時間の方が滞空時間より短いのではと思わせるほど。ヌレエフ版は飛び抜けて難しい、と語るダンサーは実際多いが、それを聞くと、なんだか「踊れるものなら踊って見ろ!」と、ヌレエフが天国からほくそ笑みながら見下ろしているような気さえしてくる。
だが、それだからこそ、かつて最盛期に英国の批評家に「彼のパ・ド・シャ(”猫のステップ“の名前どおりの、しなやかに横に進むジャンプ)には生きる喜びが横溢している」と言わしめた過剰なほどの生命力が、ヌレエフがバレエにもたらしたかけがえのない遺産として、継承されていくのだろう。
長野由紀(舞踊評論家)
長野由紀 Yuki Nagano
1990年代初頭から、舞踊評論、翻訳に携わる。ダンスマガジン(新書館)、日本経済新聞、Dance Europe(London)、公演プログラム等に寄稿。テレビ番組の解説、カルチャーセンター講師等を務める。著書に『バレエの見方・新装版』(新書館)他、訳書に『バランシン伝』(テイパー著、新書館)、絵本『ブロントリーナ』(ハウ著、同)、共訳書に『オックスフォードバレエダンス事典』(平凡社)。また新国立劇場バレエ団オフィシャルDVD BOOKSシリーズ(世界文化社)の編集アドヴァイザーを務めた。
©Fondation Noureev