2019 / 07 / 24
マリインスキー・バレエの輝き ~教育・ダンサー・レパートリー~海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)

マリインスキー・バレエ2011『くるみ割り人形』©Valentin Baranovsky 2012
2分でわかるマリインスキー・バレエ
「世界一のバレエ団はどこ?」とバレエファンに尋ねたら、パリ・オペラ座バレエとマリインスキー・バレエのどちらかを答える人がほとんどだろう。前者は17世紀に古典バレエが始まったバレエ団、後者は19世紀に古典バレエを完成させたバレエ団である。
マリインスキー・バレエの本拠地は、ロシア・サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場である。1783年に設立したロシア帝国の宮廷バレエ団を起源とし、約240年の伝統を誇っている。1996年には、カリスマ指揮者のヴァレリー・ゲルギエフが劇場の芸術総監督に就任。今も世界最高峰のバレエ団としての地位は揺らいでいない。
マリインスキー・バレエの魅力は、厳格なアカデミズムに裏付けられた踊りの美しさだ。同団の舞台は、主役やソリストの踊りのみでなく、コール・ド・バレエ(群舞)やキャラクター・ダンス(民族舞踊)にも、バレエの様式美が貫徹している。それを支えているのが、バレエ団に隣接するワガノワ・バレエ学校の教育システムである。入学試験をパスし、最長9年間の厳しい教育を受けて卒業した生徒のうち、優秀な一部の生徒のみが同バレエ団に入ることができる。もちろん入団後も、毎日の訓練は欠かせない。
この厳しい教育が世界のトップスターを生み出し続けてきた。最近に限っても、アルティナイ・アスィルムラートワ(1961~ )、ファルフ・ルジマートフ(1963~ )、イーゴリ・ゼレンスキー(1969~ )、ウリヤーナ・ロパートキナ(1973~ )、スヴェトラーナ・ザハーロワ(1979~ )など、同バレエ団出身のスーパースターは枚挙にいとまがない。少し遡れば、冷戦期に西側へ亡命して世界のバレエ界を変えたルドルフ・ヌレエフ(1938~93)、ナタリア・マカロワ(1940~ )、ミハイル・バリシニコフ(1948~ )の3人もこのバレエ団出身。さらに遡れば、伝説のダンサー、アンナ・パヴロワ(1881~1931)とヴァーツラフ・ニジンスキー(1889~1950)がいる。
また、19世紀後半、マリウス・プティパがマリインスキー・バレエの主席バレエ・マスターとなって初演した全幕作品を並べれば、古典バレエを完成させたのが同団であることが良く分かるだろう。すなわち、『バヤデルカ』、『海賊』、『眠れる森の美女』、『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』、『ライモンダ』(以上初演順)、すべてプティパが同団に演出した作品である。これらの作品は、いまも同団の大事なレパートリーとして踊りつがれている。
現在のマリインスキー・バレエはゲルギエフ芸術総監督の下、伝統を守りつつ、新しいレパートリーをどんどん増やしている。バランシン、プティ、マクミラン、ノイマイヤーなど、アカデミズムの枠を越えたバレエ作品に加えて、いっそう前衛的なファン・マーネン、フォーサイス、プレルジョカージュなどのコンテンポラリーダンスも上演している。
ゲルギエフの指揮するエネルギッシュな演奏は、世界最高峰の優美な踊りと相乗効果を発揮し、バレエの地平をさらに押し広げる。今もこれからも、いつまでも目が離せないバレエ団であることは間違いない。
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海野 敏 Bin Umino
1961年、東京生まれ。1991年、東京大学大学院博士課程満期退学、同大助手を経て、2004年より東洋大学社会学部教授。情報学を専門として、バレエ、コンテンポラリーダンスの3DCG振付シミュレーションソフトを開発中。1992年より舞踊評論家として、バレエ・ダンス関係の執筆・講演活動を行う。共著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』(平凡社,2012)、『バレエ パーフェクトガイド 改訂版』(新書館, 2012)、『図書館情報学基礎』(東京大学出版会,2013)、共訳書に『オックスフォード バレエ ダンス事典』(平凡社, 2010)ほか。