2019 / 08 / 28
もうひとつの『白鳥の湖』~バレエダンサーにしか踊れないコンテンポラリーダンス~海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)

シュレプファー&バレエ・アム・ライン『白鳥の湖』©Gert Weigelt
話題の振付家による原点にこだわった演出とは
マーティン・シュレプファー(1959- )は、マニュエル・ルグリの後任として来年ウィーン国立バレエ団芸術監督に就任することが決まっており、いま最も旬なバレエ振付家である。彼の『白鳥の湖』は、コンテンポラリーダンスでありながら実はあくまでクラシックバレエの技法に忠実な振付であり、奇想に満ちているようで実は140年前の原典にこだわった演出だ。
シュレプファーはスイスに生まれ、英国ロイヤル・バレエ・スクールで学び、まずバレエダンサーとして活躍。30歳代半ばからは、ベルン・バレエ、バレエ・マインツ、そしてバレエ・アム・ラインの芸術監督を次々に務め、すでに50を超える作品を創ってきたベテラン振付家である。日本ではまだあまり知られていないが、欧州での評価は非常に高く、ブノワ賞、タリオーニ賞、ファウスト賞など、数々の賞を受賞している。
『白鳥の湖』は、彼が初めて手掛けた全幕バレエ。第1幕の冒頭、簡素な舞台で、ワンピース、スラックスなどカジュアルな服装の男女が躍る場面に、いきなりバレエファンはとまどいを覚えるかもしれない。振付も、足首を90度曲げるフレックスが頻出したり、フロアに手や腰をついて動いたり、股を割るポーズをしたり、無音のシーンが多かったり、しばしば奇異に感じるかもしれない。
しかし、シュレプファーの振付はつねにクラシックバレエの技法を前提としており、古典的な様式美からの逸脱が意外に少ない。ポーズもステップも、クラシックバレエの振付語彙をそのまま用いている。鍛えられたバレエダンサーだけが美しく踊りこなせる振付と言ってよい。もちろん、バレエ・アム・ラインのダンサーたちは、その期待に応える技量を持っている。女性はトウシューズを履かない役も多いが、おしなべて足の甲がきれいなダンサーが多い。映像では日本人ダンサー、加藤優子と中ノ目知章も力演している。
一方、演出の特徴は、1877年初演のレイシンゲル版の音楽と台本を用いていることだ。『白鳥の湖』は、プティパ/イワノフの改訂以降、チャイコフスキーの原曲のいくつかを割愛し、順番も変えて上演するのが通例となっている。しかし、シュレプファーはあえて原曲通りの音楽を使用。また、初演時の台本には主人公オデットの継母と祖父が出てくるのだが、現在、継母と祖父の登場する『白鳥の湖』はほぼ上演されていない。そこもシュレプファーは原典を尊重し、オデットが祖父に見守られつつも、継母とロットバルトの奸計に苦しめられるという物語にしている。オデットとオディールを別のダンサーが演じるのも初演の通り。“温故知新”と呼ぶにふさわしい作品である。
「ポートレート~振付家マーティン・シュレプファー」は、彼の活動を追いかけた番組。前半は彼自身がダンサーとしてファン・マーネンの振付作品を踊るシーン、後半はバレエ団で彼の振付作品『深宇宙』を制作してゆくプロセスが興味深い。話題の振付家が創作に打ち込む姿に触れられるドキュメンタリーである。
マリインスキー・バレエの輝き ~教育・ダンサー・レパートリー
マグレブの筋肉美~南仏の荒ぶるコンテンポラリーダンス
バレエとモダンダンスの相互浸透による止揚~ネザーランド・ダンス・シアター キリアン3作品
バレエの超絶技巧に酔いしれる~キューバ国立バレエ『ドン・キホーテ』
北欧発のシュルレアリスム・バレエ~田園の祭りから精神世界への潜行
海野 敏 Bin Umino
1961年、東京生まれ。1991年、東京大学大学院博士課程満期退学、同大助手を経て、2004年より東洋大学社会学部教授。情報学を専門として、バレエ、コンテンポラリーダンスの3DCG振付シミュレーションソフトを開発中。1992年より舞踊評論家として、バレエ・ダンス関係の執筆・講演活動を行う。共著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』(平凡社,2012)、『バレエ パーフェクトガイド 改訂版』(新書館, 2012)、『図書館情報学基礎』(東京大学出版会,2013)、共訳書に『オックスフォード バレエ ダンス事典』(平凡社, 2010)ほか。