2019 / 12 / 25
ノルウェーを代表する長編詩の舞踊化~ウィーン国立バレエ『ペール・ギュント』~海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)

ウィーン国立バレエ2018『ペール・ギュント』 ©Wiener Staatsballett/Ashley Taylor
ルグリの仕掛けた前衛への挑戦
伝説上のろくでなし、ペール・ギュントの奇想天外、荒唐無稽な放浪譚。渓谷の村を出発したペールは、魔物の王女を娶ろうとしてしくじり、ベドウィンの族長の娘を誘惑したつもりが精神病院に収容され、尾羽打ち枯らし、年老いて帰郷する。
原作はノルウェーを代表する劇作家ヘンリック・イプセンの長編詩劇、音楽はノルウェーの国民的作曲家エドヴァルド・グリーグの楽曲。ルーマニア出身の振付家エドワード・クルーグは、大部な物語から印象的なエピソードを抜粋し、約100分、全2幕のコンテンポラリーダンス作品に仕立てた。音楽にはグリーグの「ペール・ギュント」のみでなく、グリーグのピアノ協奏曲、ホルベルク組曲なども用いている。
舞踊作品としての見どころは、パ・ド・ドゥと群舞である。
まず、ペールと、山小屋で彼を待ち続ける村娘ソルヴェイグが踊る2回のパ・ド・ドゥが美しい。1回目は第1幕終盤。限界まで深いプリエをくり返しながら、次第に高いリフトや回転が加わって激しくなる振付。2回目は第2幕の幕切れ直前。山小屋の扉を背負ったソルヴェイグが登場し、ペールがためらいつつ扉を開いた後、2人は40年ぶりに再会し、短い踊りで生に別れを告げる。どちらの場面も、ウィーン国立バレエ専属ピアニストである滝澤志野のピアノ演奏が素晴らしい。叙情的で透明感のある音色が踊りを支えている。
群舞では、第1幕、魔物のトロルたちがグリーグの「山の魔王の宮殿にて」で踊る場面が圧巻。トロルは瘤のある薄緑の裸体に2本の曲がった角を生やしており、15人のトロルが一斉に踊る姿はグロテスクかつユーモラスだ。第2幕では、精神病院で20数人の患者たちが踊る場面が面白い。グリーグのピアノ協奏曲を用い、滑稽味がありつつ、リビドーのほとばしるエネルギッシュな群舞である。
演出に関しては、鹿がペールを見守り、死神がペールを付け回すという構図が分かりやすい。鹿の衣装は、前脚を模した長い杖を両手にはめており、この前脚を踊りで使うように振付が工夫されている。死神は、終始ペールを弄ぶが、第2幕終盤には、彼を棺桶に納めようとして何故か納められないというユニークな演出が施されている。
ウィーン国立バレエは、パリ・オペラ座バレエ団の元エトワールで世界的なスーパースター、マニュエル・ルグリが芸術監督を務めている。『ペール・ギュント』はルグリの仕掛けた前衛への挑戦であり、2018年、同団の来日公演でも、本作のパ・ド・ドゥを上演している。クルーグの振付は表現主義舞踊の流れを感じさせるもので、古典バレエからは距離があるが、ダンサーの身のこなしは、バレエに鍛えられているからこそ表現力に富んでいる。とりわけ、トウシューズを履かなくてもしっかりと伸びたつま先が美しい。
ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏は、グリーグの澄み切った和音と心地よい旋律を鮮やかに響かせて絶品。秀逸な文学、音楽、舞踊が三位一体となった見ごたえのある舞台である。
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海野 敏 Bin Umino
1961年、東京生まれ。1991年、東京大学大学院博士課程満期退学、同大助手を経て、2004年より東洋大学社会学部教授。情報学を専門として、バレエ、コンテンポラリーダンスの3DCG振付シミュレーションソフトを開発中。1992年より舞踊評論家として、バレエ・ダンス関係の執筆・講演活動を行う。共著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』(平凡社,2012)、『バレエ パーフェクトガイド 改訂版』(新書館, 2012)、『図書館情報学基礎』(東京大学出版会,2013)、共訳書に『オックスフォード バレエ ダンス事典』(平凡社, 2010)ほか。