2020 / 01 / 31
【新連載】ベートーヴェンを取り巻く12人の音楽家たち 文・萩谷由喜子~第1回 ベートーヴェンとJ.S.バッハ
【ベートーヴェン生誕250周年 特別記念連載】

イラストレーション:aggiiiiiii
らくにスタート地点に立てたベートーヴェン
ドイツ東部のライプツィヒでヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)が世を去って20年後の1770年、おそらく12月16日に、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)はドイツ西部、ライン河畔の小城下町ボンに生まれました。

▲ベートーヴェンの生まれた街、ボン
ですから、ともに頭文字を「B」とするこのドイツ音楽の巨匠2人の間に直接の接点はありません。しかしながら、J.S.バッハという偉大な先人がいなかったら、今日わたくしたちの知る巨人ベートーヴェンは現れなかった、とまでは申しませんが、少なくとも、彼は音楽を学ぶために、血の汗を流しながら霧の中を手探りしながら歩まねばならなかったでしょうし、創作のスタート地点にたどり着くまでに想像を絶するほど多くの時間と労力、精神力と忍耐力を強いられねばならなかったはずです。従って、56年という限られた人生に、あれほどの傑作群を生むためのエネルギーと時間が、J.S.バッハの足跡なくしてベートーヴェンに許されたかどうかは甚だ疑問です。
シューマンの名言
それがどういうことなのかを、ロベルト・シューマン(1810~1856)は、1848年に書いた『若き音楽家のための訓言』の中に、惚れ惚れとするような見事な言葉で要約しています。
「もろもろの源泉は、長い時が巡るうちに、徐々に互いへと近づけられてきた。例えばべートーヴェンは、モーツァルトが学ばねばならなかったことを、すべて学ぶ必要はなかった。同様にモーツァルトはヘンデルが、ヘンデルは例えばパレストリーナが学ばねばならなかったすべてを、学ばずにすんだのである。なぜなら彼らは、すでに先の者を自分自身の中へと取り込んでいったからだ。ただ、ある1つの源泉からは、あらゆる者が常に新たに汲み取ることができるだろう-J.S.バッハから!」──シューマン
そうです。ベートーヴェンはJ.S.バッハという源泉から新たなものを汲み取り、その恩恵に浴した最大の作曲家の1人であったのです。
シューマンはこうも言っています。
「優れた巨匠のフーガを、とりわけJ.S.バッハのフーガを熱心に弾きなさい。『平均律クラヴィーア曲集』を日々の糧としなさい。そうすればきっと、あなたは立派な音楽家になれるでしょう」
10歳から『平均律クラヴィーア曲集』を学ぶ
実はベートーヴェンも少年時代、『平均律クラヴィーア曲集』を一生懸命に勉強しました。
彼がまだ生地のボンに暮らしていた1781年、満10歳のとき、クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(1748~1798)という若い音楽家がボンの選帝侯付きのオルガニストに召し抱えられました。ネーフェは、J.S.バッハゆかりの地ライプツィヒでヨハン・アダム・ヒラー(J.S.バッハの弟子ではありません)という先生について学んだ人で、J.S.バッハとその次男カール・フィリップをたいへん尊敬していました。当時のベートーヴェンは父親の友人たちからクラヴィーアやヴァイオリンの指導を受けてめざましい進歩を遂げてしまい、より優れた師匠を必要としていた時期でした。タイミングよく、ネーフェに師事することのできたベートーヴェンは、ネーフェからこの『平均律クラヴィーア曲集』を叩きこまれたのです。

▲バッハゆかりの地ライプツィヒにあるトーマス教会。バッハはトーマス教会の音楽監督(トーマスカントル)に就任後、年間約50曲のカンタータを作曲する一方で、『平均律クラヴィーア曲集』のような非宗教的な音楽も生み出した。

▲ピアノ学習者にとっても欠かせない『平均律クラヴィーア曲集』
平均律というのは、1オクターヴを構成する12の音、視覚的には、ピアノのドからシまでの7つの白鍵と『猫ふんじゃった』を弾くときの5つの黒鍵を思い浮かべていただくとわかりやすいでしょうか、それら12の音の音高を均等に割り付ける音律のことです。実際には、これらの音の間隔はまったくの均一ではありません。奏者がその都度、音をつくる弦や管楽器などではその違いを表現することが可能ですが、鍵盤楽器の場合はあらかじめ音高を設定しなければならないために、ある調に合わせて調律すると、他の調では不都合が生じます。ところが、平均律を用いることにより、1台の楽器でどの調の曲も演奏でき、曲の途中の転調にもたやすく対応できるようになりました。
J.S.バッハは、その平均律のあらゆる可能性を探って、12の音を出発音とする長短両調、計24の調それぞれに、1対の前奏曲とフーガを書いたのでした。それが、『平均律クラヴィーア曲集』です。
ですから、これをきちんと学ぶことにより音楽の根本的な仕組みとさまざまな技法が身に着き、即興性の強い前奏曲はもとより、緻密にして論理的なフーガの書き方も習得できることになります。それゆえ、ネーフェはこのJ.S.バッハの音楽遺産を10歳の愛弟子にしっかりと吸収させたのでした。
調の用い方の天才、ベートーヴェン
後年、ベートーヴェンは、いろいろな調を自在に用いました。例えば、『交響曲第1番』の出だしはどうでしょうか。
この交響曲の主調はハ長調なのでハ長調で始まるべきところ、曲頭はハ長調の下属調にあたるへ長調の属7和音です。これがへ長調の主和音にいったん解決されると、次にハ長調の属7和音から平行短調のイ短調和音が導かれ、今度はハ長調の属調であるト長調の属7和音が鳴らされたのち、主調の属調のト長調和音が響いてようやくハ長調圏内に入る、という意表を突く開始をしています。ちょっと凝りすぎかもしれませんが、こんなややこしいことができたのも、調の関係性に異様に強かったからでしょう。
精巧な美術品のようなフーガ
彼はまた、おそるべき精密さをもって多くのフーガを書きました。
『英雄』交響曲のフィナーレや第九フィナーレの行進曲風部分の後半、『大フーガ』に代表される後期の弦楽四重奏曲の随所など、多くの作品にフーガが採用されていますが、とりわけ後期のピアノ・ソナタに現れるそれらは、もう精巧な美術品としかいいようのない見事なものです。第29番『ハンマークラヴィーア』終楽章の3声のフーガに畏敬の念を抱かないピアニストはおらず、第30番作品109、及び、第31番作品110終楽章のフーガに涙しない聴衆もいないと言っても、過言ではないのではないでしょうか。
その源泉は、作曲者が少年時代に一心に学んだ、J.S.バッハにあったのでした。
~第2回 ベートーヴェンとモーツァルトへ続く~
萩谷由喜子 Yukiko Hagiya
音楽評論家、ジャーナリスト。日舞、邦楽とピアノを学び、立教大学卒業後は音楽教室を主宰する傍ら音楽評論を志鳥栄八郎氏に師事。専門分野は女性音楽史、日本のクラシック音楽受容史。『音楽の友』『モーストリー・クラシック』等の批評欄を担当、日本経済新聞、産経新聞等に音楽記事を執筆。NHKラジオ深夜便に随時出演。クラシック音楽講座の講師も務める。主な著書に『幸田姉妹』『田中希代子』『諏訪根自子』『蝶々夫人と日露戦争』『クララ・シューマン』等。
ホームページ http://www7b.biglobe.ne.jp/~yukiko99/
ブログ http://yukiko3916.livedoor.blog/