2015 / 11 / 19
第11回【ベルリン・フィルのベートーヴェン・ツィクルス】
≪旅する音楽師・山本直幸の百聴百観ノート≫
筆者はこの1ヶ月間に、ラトル指揮でベルリン・フィルのベートーヴェン・ツィクルスを拠点ホールのフィルハーモニーとウィーン楽友協会ホールで聴く機会に恵まれました。さらにブロムシュテット指揮のウィーン・フィルの演奏で、交響曲第7番と8番も聴くことができました。流石に短期間に1つのオーケストラを2つの異なる会場で、又、2つの異なるオーケストラを同じ会場で聴き比べてみると、オーケストラの違いは拠点ホールの違いそのもの、拠点ホールがオーケストラを育むものだと、改めて実感することができました。共に満席時の残響が2秒前後で理想的なコンサートホールですが、一方は伝統的なシューボックス型ホール、一方は近代的なヴィンヤード型ホールで、音響の特性が明らかに違います。つまり2つの異なるホールの特性は、1842年設立のウィーン・フィルと1882年設立のベルリン・フィルが奏でる音色や演奏スタイルに大きな影響を与え、世界最高峰の2つのオーケストラの「今」を形成しているということです。
【ホールが育む音色】
楽友協会ホールは、1870年に完成し、ウィーン・フィルが拠点として使用すようになりました。幅が狭い上に幅と天井の高さがほぼ同じことから(幅19.1m、高さ17.75m)、壁から天井へ、天井から床へ、またその逆へと素晴らしい反射音が生まれ、さらに天井の材質が厚いため、低音の響きもよく、また1階バルコニーに形状が不規則な女人像を配置することによって、より細やかな反射音も生まれる構造になっています。そもそもウィーン古典派ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品を演奏するのに理想的なホールですが、ウィーン・フィルは、このホールで最高の音が響くように使用する楽器や奏法、演奏スタイルを決め、それを伝統として守り続けているオーケストラです。ブロムシュテット指揮で聴いたベートーヴェンは、このホールでウィーン・フィルが作り出した繊細で優雅な音色が響く古典的な素晴らしい演奏でした。但し、予想外にテンポが速く、強弱もはっきりさせた、88歳とは思えないほど躍動感のある指揮ぶりで、ウィーン・フィルがそれにしっかり応えて職人的に淡々と演奏していたのが印象的でした。正直、フィルハーモニーで少し次元の違うベルリン・フィルの演奏を聴いた後だっただけに、物足りなさを感じましたが、ウィーン・フィルにはベルリン・フィルが持ち得ない魅力があることも事実です。
フィルハーモニーは、1963年に完成し、ベルリン・フィルの拠点としてカラヤン指揮でベートーヴェンの「第九」が演奏されてオープンしました。「人・空間・音楽の新しい関係」という設計のコンセプトは、巨大な空間の中心に舞台を配置し、それを四方から客席で取り囲むというもので、当時としては非常に斬新なものでした。客席を18のブロックに分けて仕切り、舞台の上に10枚の反響板を吊し、壁には木製の反響材を使用してより音響効果を高めるなど、音響面で様々な工夫がなされました。ベルリン・フィルの重厚な響き、そして比類なき巨大な音量は、まさにこのホールが作り出したものです。今回のツィクルスは、すでに2018年に退任することが決まっている常任指揮者ラトルにとって、楽団員と13年間の良好な関係で築き上げた音楽の集大成として、全曲の細部にわたって共に取り組んだプロジェクトだといえるでしょう。そしてその成果を世界中に示すために、ベルリンだけではなく、パリ、ウィーン、ニューヨーク、東京での公演を実現させるのだと思います。実際に拠点のフィルハーモニーで聴いた演奏は、極めて完成度の高い、スケールの大きなものでした。優れた楽団員全員が独奏者であるかのように奏でていながら、乱れることのない卓越したアンサンブルが、ラトルと一体化した結晶でしょう。
思えばベルリン・フィルのベートーヴェン・ツィクルスを初めて聴いたのは、2001年2月、ベルリンのフィルハーモニーではなく、ウィーンの楽友協会ホールでした。2000年に胃癌の手術後、来日公演を強行し、その後もベルリンで年末のジルヴェスターコンサート、翌年1月末にはヴェルディ没後100年の記念演奏会を指揮し、2月にウィーンでベートーヴェン・ツィクルスを指揮するという過密な日程に敢えて挑んだアバドのことは、今でも鮮明に記憶に残っています。食事制限により異常に痩せ細った身体のどこからパワーが沸いてくるのか・・・演奏を聴く度に受けた感銘、感動は決して忘れることはありません。そしてアバドは後に、「音楽は最良の医術、薬」であるという名言を残しています。医師団に反対された日本公演を強行したことが、結果的に回復につながった・・・日本のファンが温かく迎えてくれたこと、音楽を続けられたことが、精神的に大きな支えになったそうです。その時の来日公演は12日間でオペラを含め7公演という過密な日程で、まさに音楽を続けたことが癌を克服するパワーをもらたしたということなのでしょう。アバドのベートーヴェン・ツィクルスは、楽友協会ホールの特性を考慮したと思わせる小編成での演奏だったので、ベルリン・フィル本来の透明感のある音色、響きがホールに溶け込み、アバドが描いたであろう最高のベートーヴェンを聴くことができたと記憶しています。
【郷に入っては・・・】
それから14年半後にウィーンで聴いたラトルのベートーヴェンは、残念ながらベルリンで聴いたものとは違っていました。その理由は明らかで、ホールが違うからです。フィルハーモニーでの演奏と同じ編成、例えばコントラバスを左側後方に据えるという配置も同じでした。テンポの変化や強弱の激しさによるメリハリのある演奏は変わりませんでしたが、切れ味鋭い弦楽器と透明感のある管楽器・ティンパニーの響きが上手く再現できていなかったように感じました。小編成だった交響曲第1番と2番までは良かったのですが、編成が大きくなると、当然音量も大きくなり、鳴りすぎによる直接音と残響の重なりが生じ、透明感のない、もやもやした響きになってしまったのでしょう。特に5番はテンポが速かったために残響のあるうちに次のフレーズの直接音が重なることが何度かありました。8番の冒頭などは、フィルハーモニーで聴いた演奏、ブロムシュテット指揮のウィーン・フィルの演奏のように自然に耳に入ってきた音の響きとは違ったもので、かなり違和感を覚えました。勿論楽友協会ホールだけでこのツィクルスを聴いた人には、ベルリン・フィルの桁外れの実力を感じることができる素晴らしい演奏だったはずです。
第10回【ベートーヴェンの生誕地ボン】
第9回【2015年のザルツブルク音楽祭】
第8回【ベルリン・フィルの常任指揮者選び】
第7回【モーツァルトの三大交響曲】
第6回【ベルリン・フィルの音楽祭・・・ラトルの後任
JTBロイヤルロード銀座ライブデスクでは、通年、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの演奏会を拠点ホールで鑑賞できるツアーを数多く企画・実施しています。
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【JTBロイヤルロード銀座 音楽の旅 ライブデスク】
プランニングマネージャー 山本直幸
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年ツアーにも同行し現地で案内役も務める。毎夏、ライブ駐在員としてザルツブルクに滞在。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。