2020 / 07 / 30
ボリショイ・バレエが復元した古典バレエの原点~ピエール・ラコット版『ファラオの娘』の値打ち~海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)

ボリショイ・バレエ2003『ファラオの娘』©Viacheslav Podorozhny
87年ぶりに復活した豪華舞台
世界最高水準のバレエ団が、そのトップダンサーを主要キャストに配して復活させたプティパ・バレエの出発点。スヴェトラーナ・ザハーロワ、マリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリンらの踊りは、息をのむほど美しい。
マリウス・プティパは、19世紀後半に『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』の3大バレエをはじめ、現在上演されている古典全幕バレエのほとんどを手がけた振付家である。『ファラオの娘』(初演1862年)はプティパの初期作品であり、大成功を収めて彼の出世作となったバレエだ。この作品は、その後のプティパ・バレエの特徴となる ①主役男女を頂点とする作品構造、②舞踊の見せ場と物語の進行の分離、③ロマン主義的な設定の継承などの様式を備えており、それゆえ「古典バレエの原点」と言ってよい作品である。
『ファラオの娘』は20世紀初頭まで人気作品であったが、ロシア革命の波に呑まれて、1913年を最後に上演が途絶えていた。これを徹底的な資料研究に基づいて復元したのがピエール・ラコットである。2000年、『ファラオの娘』はボリショイ・バレエによって87年ぶりに復活した。
英国貴族がエジプトのピラミッドの内部へ入り込み、そこでミイラとなって眠っていたファラオの娘の夢を見る物語。夢の中で貴族は数千年前の世界を訪れ、タオールという名の古代エジプト人となって、ファラオの娘アスピシアと恋人になる。アスピシアは、別の男性と政略結婚をさせられそうになってナイル河に身投げするが、ナイル河の神に命を救われる。
アスピシア役のザハーロワは、世界のバレエ界の頂点に君臨するテクニックを持ったバレリーナだ。難度の高い振付を事も無げに踊る姿に驚かされる。プロポーションも抜群で、大きく弓なりの足甲が美しい。第3幕、彼女がナイルの河底でたおやかに踊るソロは、大きな見どころである。
アスピシアの侍女ラムゼ役のアレクサンドロワも、ザハーロワに比肩する実力と人気のあるバレリーナである。彼女には繊細さと力強さが共存しており、長身を活かしたダイナミックな踊りが爽快。第1幕の中盤は、ザハーロワとアレクサンドロワがそれぞれ技巧的なソロを披露する場面が続いて、眼福である。
タオール役のフィーリンは、ボリショイ・バレエのプリンシパルとして堂々としたスターの風格を備えている。第1幕中盤、第2幕冒頭、第3幕終盤に披露されるザハーロワとフィーリンのパ・ド・ドゥは、いずれも踊りの見せ場となっている。ちなみに、彼は2011年から5年間、ボリショイ・バレエの芸術監督を務めた。
ほかにも、ファラオの宮殿の壮麗な美術、100人を超える出演者が入れ替わり登場する迫力ある群舞、8回も着替えるアスピシアの豪華な衣装、岩田守弘が演じるコミカルな猿の踊りなど、見どころに事欠かない。バレエファンにとって贅沢三昧の舞台と言ってよいだろう。
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海野 敏 Bin Umino
1961年、東京生まれ。1991年、東京大学大学院博士課程満期退学、同大助手を経て、2004年より東洋大学社会学部教授。情報学を専門として、バレエ、コンテンポラリーダンスの3DCG振付シミュレーションソフトを開発中。1992年より舞踊評論家として、バレエ・ダンス関係の執筆・講演活動を行う。共著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』(平凡社,2012)、『バレエ パーフェクトガイド 改訂版』(新書館, 2012)、『図書館情報学基礎』(東京大学出版会,2013)、共訳書に『オックスフォード バレエ ダンス事典』(平凡社, 2010)ほか。