2020 / 10 / 02
「音楽評論家 奥田佳道が推す今どきのマエストロ、オーケストラ」第31回【70歳台後半を迎えた今も大規模プロジェクト推進に余念がないダニエル・バレンボイム】

©Monika Rittershaus
今月は、70歳台後半を迎えた今も「ソナタや交響曲の全曲演奏」などの大規模プロジェクト推進に余念がないダニエル・バレンボイム(1942年11月ブエノスアイレス生まれ)をあらためて推す。
1992年からGMD(音楽総監督)を務めるベルリン州立歌劇場での多彩なオペラ上演こそ、バレンボイムの「メインストリーム」と見なす方も多いことだろう。
この人はいつだって精力的だ。偶然もあるが、歴史や社会の変動と呼応し、動く。
早31年前の1989年11月、「東西」ベルリンを隔てていた<ベルリンの壁>が崩壊した時、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は「東ベルリン市民」を無料招待し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と交響曲第7番を奏でた。
ピアノと指揮は、47歳の誕生日を直近に控えたダニエル・バレンボイムに委ねられた。たまたまバレンボイムがベルリン・フィル、人気メゾソプラノのチェチーリア・バルトリらとモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」を録音中だったからこそ実現したステージだったが、音楽と運命の女神は、やはりそうしたメッセージ性ある場に相応しい音楽家に微笑んだというべきだろう。
感極まった聴衆から花を一輪差し出されたバレンボイムは「いつもはしませんが、今日は特別、だからもう1曲」(意訳、正確にはもう少し長い)とスピーチし、ベルリンで録音中だった「コジ・ファン・トゥッテ」の序曲を奏でた。
コロナ禍で中止を余儀なくされたステージは多かったが、ベートーヴェン生誕250年を意識したピアノ・ソナタ全曲演奏、録音で類いまれな存在感を明らかにしたばかりである。ベートーヴェンのソナタ全曲演奏は1960年代からロンドン、ウィーン、ベルリン、東京ほかで何度も行なってきた。2020年10月には、実に4度目となる同ソナタ全曲録音がリリースされる。
いっぽう、28年にわたってGMD(音楽総監督)を務めるベルリン州立歌劇場の愛すべきオーケストラ、シュターツカペレ・ベルリンとの芳醇・豊満なベートーヴェンの交響曲全集(1999年録音)は、近現代の名盤のひとつ。2017年10月に、ベルリンのピエール・ブーレーズ・ザールで収録されたブラームスの交響曲全集も濃厚な演奏で、ファンを喜ばせた。優れた音響と多機能性を誇るピエール・ブーレーズ・ザールは、バレンボイムの働きかけによって誕生したベルリンの「新」ホールである。
自らの美学が映し出されたホールで、創立450年近いシュターツカペレ・ベルリンとブラームスの交響曲4曲を奏で、録音する──しかも短期間で。20年以上前のベートーヴェン交響曲全曲演奏も短期集中型のプロジェクトだった。
2019年10月には、やはり創設に関わったウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団とベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲、通称トリプル・コンチェルト(三重協奏曲)に腕を揮い、満場のベルリン・フィルハーモニー(ホール)を沸かせた。
近年再評価の気運が著しいこの作品。アンネ=ゾフィー・ムター、ヨーヨー・マ、イスラエルとアラブ諸国の若手演奏家によるウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団との劇的な演奏は、このオーケストラが「名刺」のように演奏してきた交響曲第7番とともにCD化された。
2020年5月、バレンボイムは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏を行なうはずだったウィーン、ベルリンにいた。6月5日、医学的、科学的な検証を行なったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が(中断したドイツツアー以来)3ヶ月振りに公演を再開する。ウィーン楽友協会大ホールに約100人の聴衆。
モーツァルト最後のピアノ協奏曲第27番を弾き、ベートーヴェンの交響曲第5番に渾身のタクトを披露したのは、やはりこの人、ダニエル・バレンボイムだった。
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奥田佳道 Yoshimichi Okuda
1962年東京生れ。ヴァイオリン、ドイツ文学、西洋音楽史を学ぶ。ウィーンに留学。現在、放送出演、執筆、レクチャー、公演のプレコンサートトークで活躍。アサヒグループ芸術財団音楽部門選考委員、朝日カルチャーセンター新宿、中之島、北九州講師。フッぺル鳥栖ピアノコンクール審査員。エリザベト音楽大学パフォーマンスフォーラム講師。著書に『これがヴァイオリンの銘器だ』『おもしろバイオリン事典』他。NHKラジオ『音楽の泉』第4代解説者として出演中。