2020 / 12 / 18
第49回【生誕250年を祝うはずが……】後編

ハイリゲンシュタットの「遺書の家」
「遺書の家」や散歩道などゆかりの場所も多いハイリゲンシュタット
ベートーヴェン広場のベートーヴェン像は、ウィーンの中心地にあり、主要演奏会場の1つ、コンツェルトハウスの前にあります。まさに音楽都市のシンボル的な存在で、音楽に興味のない旅行者でも写真を撮るために足を運ぶほど注目を浴びる像ですが、ウィーンにあるもう1つのベートーヴェン像は、訪れる人も少ない郊外のハイリゲンシュタットの目立たない場所に立っています。

ハイリゲンシュタットのベートーヴェン像
ハイリゲンシュタットには、1781年に鉱泉が発見されて以来、温泉保養施設があり、難聴が進行していたベートーヴェンが耳の治療のために滞在していました。その施設のあった場所は、1900年以降ハイリゲンシュタット公園と呼ばれていますが、そこに1910年に建立されたフロックコート姿のベートーヴェン像があります。後ろに回した左手にはシルクハット、右手には杖、そしてコートの左ポケットには折りたたまれた五線紙が見られ、この周辺を散策していたベートーヴェンの様子が伝わってきます。
ベートーヴェン小径という小川沿いの散策道もあり、交響曲「田園」に登場するような鳥の鳴き声や小川のせせらぎに耳を傾けながら、ゆっくり歩いてみるのも楽しいでしょう。散策道には、1863年に建立された立派な胸像もあります。また、1808年に住んで「田園」を作曲した家も残っていて、銘板で確認できます。

ベートーヴェン小径にある胸像
2017年に改装されて、6室からなるベートーヴェン博物館として公開されている「遺書の家」は、1802年10月6日、数年前から難聴に苦しみ、絶望のあまりに甥カールと弟ヨハン宛に手紙という形で、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた場所です。遺書と言っても死を決意して書いたのではなく、苦悩を克服し、作曲家として再起を決意するきっかけになった手紙で、実際には投函されずにベートーヴェンの死後発見されました。この家では、交響曲第2番が作曲されています。
ところでハイリゲンシュタットは、山や丘の斜面にブドウ畑が広がるワインの産地で、「ホイリゲ」というワイン居酒屋が軒を連ねる地帯です。「ホイリゲ」は、「今年」を意味する「ホイヤー」が語源で、特にウィーンに多いワイン専門の居酒屋の総称です。ちなみにベートーヴェンが1817年に住んだ家は、「マイヤー」というホイリゲになっています。

ベートーヴェンが1817年に住んだ家は、現在ホイリゲ「マイヤー」として営業している
ウィーンにあるベートーヴェンの墓所
ベートーヴェンは1827年3月26日に息を引き取り、3月29日に催された盛大な葬儀後にヴェーリンク墓地に埋葬されました。葬儀にも参列したシューベルトは、翌年の1828年11月19日に亡くなりましたが、ベートーヴェンの傍に眠りたいという希望を残していたので、11月21日に遺体は望み通りに埋葬されました。この墓地は1873年に閉鎖され、1888年に2人の遺体はウィーン中央墓地に移されました。ヴェーリンク墓地の跡地は、現在、シューベルト公園になっていますが、墓碑は記念碑として残されています。
中央墓地は、1874年にオープンしたヨーロッパ最大規模の墓地で、約300万人が眠っています。この広大な墓地の一角に、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウス一家など、著名な音楽家たちが埋葬されている特別名誉地区(区間32A)があります。
やはり訪れる人の手向ける花が一番多いのはベートーヴェンの墓で、その人気の高さが伺えます。また、ベートーヴェンの墓が他に比べて印象的なのは、彼が愛用したメトロノームをイメージさせるオベリスクの形をしているからでしょう。台座にはシンプルに「Beethoven」とだけ文字が刻まれ、その上のオベリスクは金箔の竪琴、蝶と蛇で飾られています。竪琴は太陽神アポロの象徴、円を描く蛇の中の蝶は魂の象徴です。円には始まりも終わりもなく、自らの尻尾を噛む蛇は脱皮を繰り返すことで、不死や復活、芸術の不滅を表しているといわれています。ちなみにウィーンで没したモーツァルトの墓はなく、遺体が埋葬された聖マルクス墓地にも、この特別名誉地区にも記念碑があるだけです。それから中央墓地には、別の場所にシェーンベルクやサリエリの墓もあります。

ウィーンの中央墓地にあるベートーヴェンの墓所
夏の間好んで過ごしたウィーン近郊の街
ベートーヴェンは、夏の間頻繁にウィーン近郊のお気に入りの街で過ごしました。特にバーデンとメードリングは、自然を愛したベートーヴェンが好んだ街でした。バーデン(ドイツ語で「入浴する」の意)は、その名が示すとおり、古代ローマ時代に硫黄温泉が発見されて以来の温泉保養地です。かつて王侯貴族が別荘を構え、社交場として賑わったこともあり、今でも当時の雰囲気は少なからず伝わってきます。難聴以外にも、リュウマチ、腰痛、腹痛などを患っていたベートーヴェンには温泉治療が不可欠で、保養も兼ねて夏期に15度も訪れています。

1821~23年の夏に滞在し、「第九」の大部分を作曲したバーデンの「第九の家」
ベートーヴェンが1821~23年の夏に滞在し、「第九」の大部分を作曲した「第九の家」は、現在、記念館として公開され、当時の雰囲気が再現されています。時間があれば、ベートーヴェンが散策したであろうクア公園の高台まで足を伸ばしてみてもよいでしょう。高台にあるベートーヴェン聖堂からは、美しいバーデンの街並みが一望できます。

1818年と1819年に滞在したメードリンクの「ハフナー・ハウス」

「ミサ・ソレムニス」を作曲したメードリンクの家
メードリングは今でも緑豊かな環境の中にあり、自然を好む人が絶えず訪れる静かな街です。ベートーヴェンは、1818~20年、3年続けて夏に訪れています。1818年と1819年に滞在した家(ハフナー・ハウス)の一室は、記念館として公開されていますが、1820年に滞在して「ミサ・ソレムニス」を作曲した家は非公開で、門にある銘板で確認できます。
ドイツやオーストリアのこの年末年始は……?
筆者は30年以上、年末年始を海外で過ごしていましたが、今年は日本で新年を迎えることになってしまいました。1ヶ月以上前からロックダウンという厳しい規制を余儀なくされているドイツやオーストリアでは、感染状況に大きな改善の兆しはなく、コンサートホールや歌劇場の閉鎖が続いています。では、このコロナ禍で恒例の年末年始の特別公演はどうなるのでしょう?
オーストリアでは、閉鎖が1月6日まで、ドイツでは州ごとに差があり、ベルリン州は1月10日まで、ミュンヘンのあるバイエルン州は1月31日まで、ドレスデンとライプツィヒのあるザクセン州は2月28日までとなっています。従って年末年始の特別公演では、唯一例外的にウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが無観客で開催されるだけです。ベルリン・フィル、ゲヴァントハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデンのジルヴェスターコンサートは中止、多くの歌劇場で上演される慣わしになっている「こうもり」もすべて中止になりました。
ワクチン接種が始まったこともあり、収束への期待は高まりますが、来年の年末年始は元の状態に戻ることを祈りたいです。
第48回【生誕250年を祝うはずが……】前編
第47回【コロナ禍でのドイツ】
第46回【コロナ禍での船出】
第45回【新型コロナウイルスの影響】
第44回【ドイツの音楽3都市の年末年始を振り返る】
第43回【ザルツブルク音楽祭創始100年】
第42回【ウィーン国立歌劇場150年周年に寄せて】後編
【クラブツーリズム テーマ旅行 音楽の旅】
旅の文化カレッジ講師 山本直幸
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。