2018 / 07 / 19
【没後150年!ロッシーニの愉悦】第6回「ロッシーニ音楽入門(3)リズムとアンサンブルの斬新さ」
チマローザの死で空白状態になったオペラ界に彗星のごとく現れた革命児──ロッシーニの出現をスタンダールはそう捉えた。でも読者の多くは、ロッシーニがベートーヴェン以上に音楽の革命家だったなどとは俄かに信じられないだろう。今回はリズムやアンサンブルを中心に、彼の音楽の斬新さにふれてみたい。
デビューしたてのロッシーニが新鮮に受け止められた背景に、管弦楽が反復する音型の上で歌手がパルランテ(語りに近い調子)で歌う用法がある。ファルサ《結婚手形》と《幸せな間違い》の導入曲が一例で、その手法はナポリ派から受け継ぎながらも、活き活きとしたリズムやノリの良さで過去の作曲家を凌駕している。
オペラ・セリアの出世作《タンクレーディ》には、流麗なベルカントと器楽的な声の用法が混在する。第1幕フィナーレ末尾の2分間がそれで、4人の歌手と合唱が一定のリズムと刻みのアクセントだけで音楽を構築するのだ。その印象は現代のアカペラグループがベースやパーカッションを“口三味線”で歌うのと同質で、スイングする感覚でもロッシーニは時代を先取りしている。
着想が奇想天外の域に達したのが、《アルジェのイタリア女》第1幕フィナーレのストレッタである。猛烈な速度で弦楽器とファゴット、2人のバス歌手が演奏し、木管楽器と五重唱が即座に応じる。そしてディン、ディン、タク、タク、ブム、ブム、クラ、クラの擬音を繰り出し、7人の歌手が早口で疾走する終結部に突入する。合唱を交えたアンサンブルは4分間に満たなくてもインパクトは強烈で、これが終わると「観客は息もつけずに涙をぬぐっていた」とのスタンダールの証言も誇張ではない。第2幕の〈パッパターチ!〉を含め、ロッシーニのハチャメチャな着想は後世の研究者から音楽のシュルレアリスムの先駆けと評価されている。
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《イングランド女王エリザベッタ》第2幕ノルフォルクのアリアより(ロッシーニ財団の全集版総譜より部分)
真面目な劇台本に作曲しながら、音楽に遊びや快楽を誘う仕掛けを採り入れるのがロッシーニの真骨頂。装飾をふんだんに付ける歌の旋律と同様、彼にとっては言葉とその意味よりも音楽の自律性の方が大事なのだ。《セミラーミデ》第1幕フィナーレもその証左。墓の石棺が開いて前王ニーノの亡霊が現れる。恐怖に凍りつくセミラーミデが歌い出す「Qual mesto gemito(あの悲しげなうめき声)」は短調の旋律と途切れ途切れの伴奏で恐怖をリアルに形象化し、そのままイドレーノに受け継がれる。ところがしばらく進むと同じ旋律が長調になり、弦の伴奏もピツィカートで浮き浮きした調子になる。そこでの歌詞は「Il sangue gelasi(血が凍りつく)」だから、誰もが「なんじゃこれ?」と理解不能に陥るだろう。
「音楽に喜劇と悲劇の区別がない」「詩や劇的状況を無視している」「音楽の付け方が非常識」と同時代にさんざん批判されても、ロッシーニはバカボンのパパのように「これでいいのだ」と意に介さなかった。そのおかげで彼の作品が世界の人々を熱狂させたなら、オペラ史上に例のないやり方で逆説的勝利を収めたことになる。そしてそれこそが、ロッシーニが稀代の天才だったことの証明なのである。
【楽器用法と舞台上のバンダの新機軸】

《セビリアの理髪師》第1幕フィナーレのストレッタ冒頭(1932年のリコルディ版より) 全ての図版提供:水谷彰良
金管楽器も難しい。ロッシーニの父がホルン奏者だったから、アリアのオブリガートにも当然のごとく名人芸が求められる。筆者は海外の上演で何度も、ホルン奏者がコケるのを目にしてきた。
楽器間の音のやり取りも敏捷かつ複雑。《セビリアの理髪師》第1幕フィナーレのストレッタが一例で、猛烈なスピードでヴァイオリンが奏する三連音の音型の上で、トロンボーン、ホルン、クラリネット、ピッコロとシストリ(鐘の一種)が1拍ずつ音を鳴らすのだ(譜例参照)。トロンボーンとホルンは音を発するタイミングが難しいので、すごい速さで瞬間的に1音鳴らすのは至難の業である。
《リッチャルドとゾライデ》(1818年)で初使用した舞台上のバンダ(banda sul palco)もロッシーニの新機軸に当たる。これは通常のオーケストラとは別に、木管・金管・打楽器からなる楽隊を舞台の上、もしくは舞台の袖や装置の裏に配するもので、当時ナポリのサン・カルロ劇場ではスペイン・ブルボン家の20~30人規模の軍楽隊が演奏を担った。ロッシーニは《湖の女》や《セミラーミデ》の中でも舞台前のオーケストラと舞台上のバンダを頻繁にやりとりさせるが、距離が離れているだけに万全な演奏は困難である。
大勢のバンダ奏者を起用するのは経費的にも難しく、現代の上演ではピットのオーケストラで代用することも少なくない。だが、それでは作品のコンセプトに反し、真の効果を損ねてしまう。メトロポリタン歌劇場が今年再演した《セミラーミデ》もバンダの用法は楽譜どおりでなく、効果が半減している。ロッシーニが発端でイタリア・オペラの恒常的特色となった舞台上のバンダに関する詳細は、日本ロッシーニ協会ホームページ掲載の拙論「イタリア・オペラにおける舞台上のバンダ」(1)(2)をお読みいただきたい。
水谷彰良 Akira Mizutani
1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』(以上 音楽之友社)、『セビリアの理髪師』(水声社)。『サリエーリ』で第27回マルコ・ポーロ賞を受賞。日本ロッシーニ協会ホームページに多数の論考を掲載。
https://www.akira-rossiniana.org/