2013 / 04 / 11
【特別WEBインタビュー】TUTTO VERDI#8『アルツィーラ』にご出演の平野和さん
4月放送のTUTTO VERDI#8『アルツィーラ』にアタリーバ役で出演なさっている平野和さんにインタビューを申し込んだところ、快諾いただけましたので、このコーナーでご紹介いたします。
- 歌手を目指したきっかけや、活動の場を海外に求めるに至った経緯などについて教えて下さい
私が歌手の道を志したのは、大学受験を控えた高校3年の春のことでした。間近に受験を控えていながら、自分自身どの道に進めばよいのか悩んでおりました。そんな折、授業で歌ったドイツ歌曲とフィガロのアリアを音楽の先生が大変評価してくださり、音楽大学に進学することを薦めてくださいました。活動の場を海外に求めたきっかけは、再び進学と深く関わります。大学3年時に参加したあるマスタークラスにおいて、ウィーン国立音大教授のハンスマン先生と出会いました。大学卒業後にウィーンに来て自分の元で勉強するべきであるという先生の一言を頂き、本格的に海外に渡ることを意識しました。特に先生から、将来的にヨーロッパの劇場で活躍できるだけの素質があると言って頂いたことで、自分の夢が明確になりました。私が大学在学中の90年代後半は、サッカーの中田英寿選手がセリエAで活躍されていた時代です。イタリア語を堪能に操り、揺るがない確固たるポリシーを持って本場で活躍される姿に、当時の私は自分の夢を重ね合わせていました。
-『アルツィーラ』は上演が少ないオペラですが、出演にあたり役作りなど苦労した点はありますか?
確かに「アルツィーラ」は一般に発売されている音源はいくつかありましたが、映像に関しては全く存在しませんでした。ですから、私たちの今回の公演がこうして世界中の視聴者の皆様に見て頂ける訳ですが。このお話を頂いて、契約を交わした時点では、書面上に映像を撮るということは一切記されておりませんでした。コンサート形式での上演で、暗譜で歌唱するという旨は記載されておりましたが。それを知らされたのは、上演の1週間前の稽古が開始してからです。事実上3日くらいの稽古で簡単な演出をつけたわけです。私が演じた役はインカ王アタリーバ。当然、私の実年齢よりも高い年齢のキャラクターを演じなければなりません。衣装がなく、メイクもセットもないコンサート形式の上演で、いかに王としてのキャラクターを表現できるか苦労しました。
-公演中なにか印象に残ったこと、裏話などを教えてください
直接ヴェルディと関係はありませんが、このコンサートが行われたイタリアのドッビアーコという町は、以前セレブの集まる避暑地であったのです。作曲家のグスタフ・マーラーも夏の間この町に滞在し、小さな作曲小屋で作品を作っていたと言われています。敬愛する作曲家の仕事場を、日本人ソリスト3人で訪れたのが非常に良い思い出として残っています。
-『アルツィーラ』の見どころポイント、ヴェルディの聴きどころについて教えて下さい
アルツィーラはヴェルディ作品の中でも初期の作品として位置付けられています。初期のヴェルディ作品によく見られる先代のスタイルの踏襲、いわゆるベルカントオペラの影響が色濃く見える作品です。そのため、メロディーラインの大変きれいな楽曲が多いのが印象的です。ヴェルディという作曲家は、常々弱者の視点になって物事を描いた作曲家です。この場合、占領されるインカの民がそれに当たる訳です。弱者であるインカの恋人が結ばれ、占領軍の総統が殺されるフィナーレ、そして総統が死の直前に改心する場面に付けられた音楽は、慈愛に満ちていて素晴らしいの一言です。
-今後の予定を教えて下さい
現在所属するフォルスクオーパーとは、2014年の8月まで契約があります。来シーズンはヴェルディ作曲「トロヴァトーレ」の新制作版にフェランドで出演予定です。また、フィデリオの新制作版、「トゥーランドット」におけるスターテナー歌手ニール・シコフとの共演など、年間約40公演に出演する予定です。今年の夏は、オーストリアのチロル州で毎年開催される音楽祭で、「アルツィーラ」でご一緒させて頂いたマエストロ、グスタフ・クーン氏の元で「リゴレット」と「椿姫」に出演予定です。
-最後にクラシカ・ジャパンをご覧になっている皆様へメッセージをお願いします
クラシカ・ジャパンを日頃よりご覧になっている、大変耳の肥えた皆様に、この作品をお届けするのはある意味勇気のあることです。皆様がこの作品をご覧になってどのように感じてくださるのか、出演者のひとりとして大変興味があります。一人でも多くの方に番組をご覧になっていただき、この作品でしか味わうことの出来ないヴェルディの一面、また、海外で活躍する日本人の存在を覚えて頂ければ幸いです。
平野 和
日本大学芸術学部音楽学科を卒業後、ウィーン国立音楽大学声楽科を経て2007年同大学大学院オペラ科を首席で卒業。末芳枝、ロートラウト・ハンスマンの各氏に師事。オペラではバロックから現代にいたるまで広範囲をレパートリーとし、2006年にはザルツブルグ音楽祭、ブレゲンツ音楽祭にソリストとして相次いで出演。2007年にグラーツ歌劇場で「魔弾の射手」の隠者としてデビュー。2008年、2011年には、スティリアルテ音楽祭にて、巨匠ニコラウス・アーノンクールと共演。2008年よりウィーン・フォルクスオーパーと専属歌手として契約。フィガロの結婚のタイトルロール、コリーネ(ラ・ボエーム)、アリド―ロ(チェネレントラ)など5シーズンで約200公演公に出演。2010年に「影のない女」の冥界の使者として新国立劇場デビュー。2013年には新国立劇場開場15周年記念公演「アイーダ」にエジプト王として出演。オーストリア国営ラジオ放送の「未来のスター歌手」でも特集され、2011年4月10日にウィーン・フォルクスオーパーで行われた東日本大震災支援コンサートでは、発起人のひとりとしてオーストリア国営放送テレビ局、ラジオ局他、各メディアに紹介され、高い注目を集めた。