2014 / 11 / 28
第1回【今夏のザルツブルク音楽祭・・・あ~R.シュトラウス! あ~ネトレプコ!】
≪旅する音楽師・山本直幸の百聴百観ノート≫
今年はザルツブルク音楽祭創始者の一人であるR.シュトラウス生誕150年のメモリアルイヤー・・・さぞかしR.シュトラウスで音楽祭が盛り上がると期待していましたが、「ばらの騎士」とドゥダメル指揮のウィーン・フィル演奏会だけでは、さすがに音楽祭全体を盛り上げることはできませんでした。「ばらの騎士」は、過去に25回も取り上げられた音楽祭には欠かせない作品です。そして確かにメモリアルイヤーに相応しい音楽祭史上に残るような素晴らしい舞台でした。しかしR.シュトラウスの魅力は、オペラ以外に傑出した交響詩を作曲したことです。今夏ウィーン・フィルなどの演奏会で、R.シュトラウスではなく、ブルックナーの作品が数多く(交響曲全曲!)演奏された中で、一人気を吐いたのがドゥダメルです。R.シュトラウスを指揮しても、聴衆を熱くさせる独特の音楽づくりは健在、この演奏会だけは、明らかに違う盛り上がりをみせました。
結局音楽祭全体を盛り上げた主役はネトレプコでした。
彼女が初めてザルツブルク音楽祭の舞台にたったのは、1998年、ゲルギエフ指揮の「パルジファル」でした。6人の「花の乙女たち」の一人として出演したため、ドミンゴやマイヤーなどのスター歌手の中に埋もれて誰の目にもとまらなかったでしょう。彼女が脚光を浴びたのは、2002年、アーノンクールが「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ役で招聘したときです。当時まだマリインスキー劇場の専属歌手で無名に等しかったので、一体誰が巨星となった今のネトレプコの姿を想像できたでしょうか? 「ドン・ジョヴァンニ」が翌年再演され、高い音楽性と圧倒的な声量、美しい容姿が聴衆を魅了しました。そして2005年に「椿姫」のヴィオレッタを歌った彼女は、自らの力でスターの座を不動のものにしたのです。モーツァルト・イヤーの2006年に上演された「フィガロの結婚」は、様々な意味で音楽祭史上に残る、まさに歴史的な舞台でしたが、その主役はやはりスザンナ役のネトレプコでした。その後も「ロミオとジュリエット」や「ラ・ボエーム」、さらには演奏会形式のオペラ公演や演奏会のソリストとして出演を重ね、絶えず音楽祭の話題を独占してきました。ネトレプコなしでは、音楽祭が盛り上がらない・・・何につけても「あ~ネトレプコ!」・・・と、誰もが思う存在になったのです。
今夏の「トロヴァトーレ」では、彼女が初めてザルツブルクの舞台を踏んだときには、天上の存在だった往年の大スター・ドミンゴとの共演を果たしました。2枚看板の公演で初日から場内は異常、いや異様な盛り上がりに包まれて熱気がムンムン・・・筆者の斜め前に座っていたマリインスキー劇場音楽監督ゲルギエフまでが、カーテンコールで「ブラボー」を連呼・・・ネトレプコがスターになる前に最も身近にいたマエストロ・ゲルギエフの目にも、このときの巨星ネトレプコは特別な存在に映ったに違いありません。ちなみにドミンゴは病気で途中降板しましたが、その影響を語る人はほとんどいなかったようです。今ではネトレプコが、ドミンゴを超える存在になったといえるかもしれません。
今夏のザルツブルクも両手から溢れるほどのスター歌手が出演しましたが、一人次元の違う輝きを放った「星」は、来夏も再演が決まった「トロヴァトーレ」のレオノーレを歌って輝くことでしょう。
JTBロイヤルロード銀座ライブデスクでは、海外でドゥダメルやネトレプコが聴けるクラシック音楽鑑賞ツアーを多数ご案内しております。
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~ライブデスク専任コーディネーター 山本直幸~
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、ライブ専任コーディネーターとしてツアーにも同行し現地で案内役も務める。毎夏、ライブ駐在員としてザルツブルクに滞在。海外添乗・駐在日数は3,500日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。