2019 / 05 / 28
バレエとモダンダンスの相互浸透による止揚~ネザーランド・ダンス・シアター キリアン3作品~海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)

ネザーランド・ダンス・シアター『ウィングス・オブ・ワックス』©Joris-Jan Bos
イリ・キリアン(1947- )は、バレエとモダンダンスの対立を止揚して、ダンサーの身体による造形美と動線美の水準を著しく高めた振付家である。
20世紀初頭、モダンダンスはバレエの否定から出発した。イサドラ・ダンカン(1877-1927)を初めとする先駆者たちは、堅苦しいバレエの規範や様式を否定し、自らの感情の赴くまま自由に身体を動かすことからモダンダンスを創り出した。しかし、キリアンはバレエの技法と様式美を手放すことなく、独自の舞踊語彙を開発した。とりわけ、マーサ・グレアム(1894-1991)が「コントラクション・アンド・リリース」を軸に考案した舞踊法を、バレエの素早い動きに融合させた功績は大きい。
キリアンの振付の特徴は波動と流線である。四肢は伸びては縮み、弾くようなアクセントをつけて波打ちながら、なめらかな曲線を描き続ける。ダンサーの爪先はしっかりとターンアウトして美しく伸ばされ、アラベスクやアチチュードなどバレエのポーズが頻出する。同時に、両腕を横斜め上に広げたり、真横を向いて身体でSの字を描いたり、正面を向いて股を開き腰を沈めたり、非バレエ的な動きが印象に残る。
キリアンはチェコのプラハに生まれ、英国のロイヤル・バレエ学校を経て、1968年、ドイツ南西部のシュトゥットガルト・バレエに入団した。1975年、ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)の芸術監督に就任してからは、2009年に退団するまで、同シアターのために精力的に作品を創作し続けた。
『ウィングス・オブ・ワックス』(初演1997年、収録2008年)は、イカロス神話を題材とし、キリアンの舞踊語彙を精錬したかのような約20分の小品。冒頭、ハインリヒ・ビーバーの「無伴奏ヴァイオリンのためのパッサカリア」の調べにぴたりと寄り添って、2組の男女がバレエのポーズとステップを連発しつつ、バレエとは異質な造形も美しい。中盤、フィリップ・グラスの「弦楽四重奏曲第5番」で、4人の男性ダンサーが4人の女性ダンサーの間を細かいステップで縫うように走り回る場面は圧巻だ。逆さ吊りの枯れ木や、空中で周回する照明にも、キリアンの美意識が横溢している。
『輝夜姫』(初演1988年、収録1993年)は、竹取物語を題材としたキリアンの代表作のひとつであり、全2幕、約70分の作品。音楽は、石井眞木による和太鼓群と西洋打楽器群のための交響的組曲で、龍笛、笙、篳篥が使われている。5人の貴族と帝が輝夜姫(かぐやひめ)に求婚するものの、姫は満月の夜に月へ帰ってゆくという筋立てで、第1幕終盤、祭囃子でダンサーたちが乱舞する場面と、第2幕中盤、舞台を覆う金色の布を使った場面が見どころ。現在NDTの芸術監督を務めるポール・ライトフットが帝役を演じている。
『カー・メン』(制作2006年)は、ジョルジュ・ビゼーのオペラ「カルメン」を題材とし、映像作家ボリス・パヴァル・コーネンとキリアンが共同制作した約25分の実験的モノクローム映画。40歳以上のダンサーのためにキリアンが創設したNDT3のダンサー4人が、運命の女(カルメン)、運命に翻弄される男(ホセ)、二枚目役(エスカミーリョ)、善良な女(ミカエラ)という古典演劇の4類型を演じている。チェコの炭鉱をロケ地にして、無声コメディ映画を模したドタバタ劇が繰り広げられる。
『ウィングス・オブ・ワックス』はダンスの造形が美しく、『輝夜姫』はダンスによる語りに迫力があり、『カー・メン』は視覚効果が面白い。巨匠キリアンとNDTのコラボレーションが、それぞれ異なったかたちの成果となって現れている。
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海野 敏 Bin Umino
1961年、東京生まれ。1991年、東京大学大学院博士課程満期退学、同大助手を経て、2004年より東洋大学社会学部教授。情報学を専門として、バレエ、コンテンポラリーダンスの3DCG振付シミュレーションソフトを開発中。1992年より舞踊評論家として、バレエ・ダンス関係の執筆・講演活動を行う。共著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』(平凡社,2012)、『バレエ パーフェクトガイド 改訂版』(新書館, 2012)、『図書館情報学基礎』(東京大学出版会,2013)、共訳書に『オックスフォード バレエ ダンス事典』(平凡社, 2010)ほか。