2019 / 09 / 25
日本初上陸!スイス生まれのベイビーオペラ『ムルメリ』公演レポート

©Rikimaru Hotta
昨今、「0歳児から入場OK」という音楽会は少しずつ増えている。子供向けオペラも少なくない。しかし「2歳未満の赤ちゃん限定オペラ」となると話は別だろう。9月、日本に初お目見えしたスイス生まれのベイビーオペラ『ムルメリ』。今年2回目を迎えた「サラダ音楽祭」(主催:東京都/東京都交響楽団)の中で上演されたプロジェクトだ。この音楽祭自体が、クラシック・コンサートにまつわるいろんな「重し」を取り除いて、子供から大人まで、誰でも気軽に楽しめると話題のイベント。赤ちゃんオペラとはいったいどんなものなのだろう。興味津々のぞかせてもらった。(9月14日・東京芸術劇場シアターイースト)
取材・文:宮本明(音楽ライター)
歌手たちが即興で歌い、身体を動かすパフォーマンス・アート

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カーペット敷きの平土間に「観客」と「演者」が同居する。両者を分ける境目はない。寝そべっていた3人の歌手たち(ソプラノ、バリトン、バス)が、やおら起き上がり、「Woo_oo」「Ah〜」とヴォーカリーズで歌い始める。途端に「こわいー!」と声をあげて泣き始める子もいれば、歌手たちの動きを一心に見つめている子もいる……。
ベイビーオペラ『ムルメリ』は、2017年にスイスのバーゼル歌劇場で初演された、上演時間約30分の作品だ。オペラといっても、言葉のある歌を歌うわけではない。そもそも明確なストーリーはない。3人の歌手たちが即興で歌い、身体を動かす、ある種のパフォーマンス・アート。対象は0歳から2歳未満の⾚ちゃんと、その保護者に限定されている。2歳以上中学生以下の「大きな子供」は残念ながら入れない。
会場は10×8メートルほどに仕切られた仮設スペースで、20組ほどの親子連れでいっぱいになる。聞けば、『ムルメリ』を初演したバーゼル歌劇場内の会場と同じ寸法で作られているのだそう。舞台装置(というとやや大袈裟なのだけれど)や小道具も向こうと一緒。
事前に、バーゼル歌劇場の教育部門責任者アニヤ・アダムさんから、保護者向けのアドバイスがあった。
「公演中、お子さんは何をしても構いません。泣いても叫んでもOK。小道具に触っても大丈夫です。だからご両親もゆったりとした気分で、お子さんのやりたいようにやらせてあげてください。子供は、やりたいことを止められると泣きたくなりますから」
体験そのものに意味があるオペラ

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ストーリーはないが、大まかな段取りは決まっているようだ。「ムルメリ」というのは、アルプス地方に生息するリス科の小動物マーモットのこと。3人の歌手たちはそのムルメリの赤ちゃんで、彼らが生まれ、仲間を見つけて、ともに泉(たらいに張られた水!)に行き着くまでを描いている(ように見えた)。歌は、最初は単音のみで、徐々に音の数を増やしていき、最後には歌謡的な旋律も聴こえる。途中、シェーカーなどでリズムも刻んで高揚する。
子供たちの反応はさまざまだ。最後までずっとお母さんにしがみついて泣いている子。自分から歌手に近づいていって、まるで演じる側に加わってしまうような子。かと思えば、目ざとくたらいの水を見つけて、ずっと水遊びに没頭している一群もいる。一方で、歌手たちが一瞬歌うのをやめて静寂を作ると、それに敏感に反応して、子供たちの泣き声もピタリとやむ。それぞれの感性が、それぞれの要素をすくい取って反応しているのだろう。そんな子供たちの愛すべき様子を眺めているだけでもかなり楽しい。親たちの反応もいろいろで、子供以上にノリノリのママもいれば、歩き回る子供をたしなめる、お行儀の良いお母さんもいる。

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たぶんこの「オペラ」に「成功」も「失敗」もない。体験そのものに意味があるのだと思う。細胞に刻まれた意識下の記憶が、いつか大きな才能を引き出すトリガーになるのかもしれないし、それが皮膚の下に埋もれたままで一生を終える子もいるのかもしれない。子供たちの成長との因果関係は今のところ予測不能だろう。そんな、結果や効果に期待しない「教育」を、子供とともに体験するお父さんお母さんたちが、とても素敵に見えた。というか、じつは大人にとっても非常に面白い体験だと思う。対象年齢のお子さんやお孫さんのいる方は、ぜひ次の機会に!
宮本明 Akira Miyamoto
東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。『レコード芸術』『音楽の友』『GRAND OPERA』など音楽雑誌の編集部勤務を経て、2004年からフリーランスの音楽ライター、編集者として活動。雑誌、インターネット媒体への寄稿、音楽書籍の編集、CD録音の監修・制作など、形態を問わず音楽関連の仕事を手がけている。