2020 / 10 / 08
8カ月ぶりの劇場再開!新国立劇場がブリテンの『夏の夜の夢』で2020/21シーズン幕開け

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
10月4日(日)、新国立劇場のオペラ2020/21シーズンが、予定どおり新制作のベンジャミン・ブリテンのオペラ『夏の夜の夢』で幕を開けた。コロナ禍のために、前季2019/20シーズンが2月の『セビリアの理髪師』を最後に休止されて以来、およそ8カ月ぶりの劇場再開。うれしいニュースだ。
もちろん来場者の感染防止対策は入念に行なわれている。マスク着用の呼びかけや、受付前の検温や手指消毒の励行。さらには万が一のクラスター発生に備えて緊急連絡先を記入した来場者カードの提出が求められ、クロークのサービスやドリンク・カウンターの営業は当面休止となる。
この『夏の夜の夢』のプロダクションは、2004年にベルギーのモネ劇場で制作されたデイヴィッド・マクヴィカー演出の舞台。大野和士芸術監督の掲げるレパートリー拡大方針に基づき、その上演権を新国立劇場が買い取った。今後は新国立劇場がいつでも自由に上演できるし、海外の別の劇場へ展開することもできる。
ただし今回は、感染症対策を施した「ニューノーマル時代の新演出版」と銘打った、いわばマイナー・チェンジ版での上演。たしかに注意深く見ると、歌手たちは互いの距離をとり、男女が愛を交わすシーンでも抱き合って顔を近づけて歌ったりしないことに気づく。しかし、そんな先入観さえなければ、演技は自然で、とくに違和感を感じるようなところはない。
この「新演出版」は、マクヴィカーのオリジナル演出に基づいて、女性振付家レア・ハウスマンが演出を担当したヴァージョン。ハウスマンはもともと本公演にも「演出補・ムーヴメント」として参加していた、マクヴィカーの演出意図を最もよく知るスタッフなのだ。もっとも彼女自身は来日せず、稽古は、彼女のいるイギリスと稽古場の映像をオンラインでつないで行なわれた。舞台美術・衣裳・照明など各部門のスタッフの打ち合わせなども含めて、可能なかぎりリモートで制作が進められたのだそう。
「ニューノーマル時代の新演出」というキャッチフレーズは、わたしたちの目に見える部分よりはむしろ、そんな新しいチャレンジを指しているのだろう。しかし客席から見るかぎりは、窮余の作とか応急処置とかのネガティブな疑念をはさむ余地のない、完成されたプロダクションだ。

左より、高橋正尚(ボトム)、妖精たち、平井香織(タイターニア) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
森の樹々があくびをするような低弦のポルタメントで序奏が始まると、幕が開いて、月に照らされた深い森の奥の巨大な屋根裏部屋が現れる。妖精たちのすみかであり、人間たちが迷い込む世界。第3幕の劇中劇以外は、すべてそこで演じられる。演出のハウスマンによれば、子供たちが親から逃れてこっそり隠れることができる屋根裏部屋は、人間が理性から解放された本能の世界。シェイクスピアの戯曲は、理性を捨てて、本能でしゃべるように書かれているのだという。
今回はオール日本人歌手による上演。妖精の王オーベロンの藤木大地(カウンターテナー)や、アテネの職人たちのリーダー格の大工クインスの妻屋秀和(バス)らは当初から予定されていた配役だが、主要役のうち7人は、入国制限によって来日できなくなった海外の歌手陣に代わっての出演だった。このオペラは、主役にスター歌手を連れてくればいいというようなタイプの作品ではなく、多くの登場人物のそれぞれに聴かせどころがあるから、とくに若手歌手たちにとっては、大きなチャンスが巡ってきたことになる。藤木を含めて新国立劇場オペラ研修所の修了生も5人が出演し、劇場の底力を示した格好でもあった。

藤木大地(オーベロン) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
今季ラインナップ発表時から大きな話題になっていたのが藤木の出演だ。上述のように新国立劇場研修所の出身だが、2017年には東洋人のカウンターテナーとして初めてウィーン国立歌劇場に出演を果たし、大野芸術監督も「わたしたちの誇るカウンターテナー」と称賛する活躍ぶり。繊細で丁寧な歌唱は、もしかしたら、妖精の王様の不思議な存在感を示すためにカウンターテナーを起用したブリテンの意図を超えて、王の心理までも透かして見せる結果につながったのではないか。

藤木大地(オーベロン/左)、平井香織(タイターニア/右) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
オーベロンの妃タイターニアの平井香織(ソプラノ)も好演。鮮烈なコロラトゥーラが、夫婦喧嘩のヒステリックな金切り声にも、魔法の媚薬の力でロバ頭の職人にひとめぼれしてしまう純情な乙女の恋の喜びにも、自在に変わる。

但馬由香(ハーミア/左)、村上公太(ライサンダー/右) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
森に迷い込み、妖精たちのいたずらに翻弄される2組の人間カップル、但馬由香(ハーミア/メゾ・ソプラノ)と村上公太(ライサンダー/テノール)、大隅智佳子(ヘレナ/ソプラノ)と近藤圭(ディミートリアス/バリトン)も、それぞれに役のキャラクターを踏まえた表情豊かな歌いぶりで、海外勢の不在を微塵も感じさせない好演。

大隅智佳子(ヘレナ/左)、近藤圭(ディミートリアス/右) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
ロバ頭の機織り職人ボトムの高橋正尚(バリトン)はじめ、妻屋のクインス率いる職人たち、岸浪愛学(きしなみ・あいがく、フルート/テノール)、志村文彦(スナッグ/バス)、青地英幸(スナウト/テノール)、吉川健一(スターヴリング/バリトン)も、デリケートなアンサンブルを絶妙にこなし切って、日本声楽界の充実ぶりを証明していた。

左より、高橋正尚(ボトム)、妻屋秀和(クインス)、吉川健一(スターヴリング)、青地英幸(スナウト)、志村文彦(スナッグ)、岸浪愛学(フルート) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
しかし、歌手たちのクォリティ高いパフォーマンスを上回る印象を残したのが、歌のない、台詞役の妖精パックの河野鉄平だった。いわば狂言回しの役どころ。オペラ自体がパックが目立つように書かれてもいるのだが、じつはマクヴィカーのオリジナル演出から最も大きく変更されたのが、このパック役の演技だった。オリジナル演出では、今回も出演予定だったデイヴィッド・グリーヴズという空中ダンスのスペシャリストが演じており、演出もいわば彼への当て書き。パックが文字通り舞台上を飛び回る設定だった。演者の交代により、必然的にそこも変更しなければならなかったのだ。

河野鉄平(パック/上)、藤木大地(オーベロン/下) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
河野はれっきとしたバス歌手。フライングはなくなったとしても、台詞だけの役なら役者のほうがよいのではないかと考えたら大間違い。この河野の起用が大当たりだった。23年間アメリカで暮らしたという英語力もさることながら、不気味な怪しい動きの大熱演で、いたずらな妖精を演じ切った。グリーヴズからもリモートで演技指導を受けたという。声援を規制された現状の客席ルールさえなければ、間違いなく大きなブラヴォーが飛んだにちがいない。
また、妖精の合唱の少年たち(FM東京少年合唱団)も、歌だけでなく、いかにも不思議な存在であるかのような身体の動きが絶妙。河野の演技とともに、このあたりは振付家であるハウスマンの演出が功を奏しているのだろう。オリジナルの空飛ぶパックも見てみたいが、上述のように新国立劇場の所有プロダクションなので、いずれ近いうちにその機会も訪れるのではないか。

大塚博章(シーシアス/左)、小林由佳(ヒポリタ/右) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
オーケストラは飯森範親指揮の東京フィルハーモニー交響楽団。当初予定されていた指揮者マーティン・ブラビンスに代わって起用された飯森だが、この作品は初指揮で、与えられた準備期間は1カ月ほどしかなかったというから、相当の覚悟と集中力が必要だったはず。ブリテンの美しく研ぎ澄まされた精緻なオーケストレーションから、どこかいびつで不条理な響きを巧みに紡ぎ出してみせる。繰り返し登場する印象的なトランペット・ソロなど、オーケストラも鮮やかに応えていた。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
ブリテンの『夏の夜の夢』は、1960年に初演された現代オペラだが、明快で、しかし幻想的な音楽に彩られた、シェイクスピア原作の喜劇。シェイクスピアの原作の冒頭を大幅にカットしたり、台詞を抜き出したりはしているが、歌詞自体はすべてシェイクスピアの言葉そのまま。今回は日本語字幕とともに英語字幕も付いた上演なので、ときに字幕を追えば、シェイクスピアの台詞の韻がブリテンの音楽の中でどう扱われているのかなども確認できて興味深い。

左より、青地英幸(スナウト)、岸浪愛学(フルート)、妻屋秀和(クインス)、高橋正尚(ボトム)、志村文彦(スナッグ))、吉川健一(スターヴリング) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
なお、オペラよりひと足先に10月2日に初日を開けた演劇部門の『リチャード二世』、11月末の舞踊部門の『シェイクスピア ソネット』と、今秋は新国立劇場の3部門が連携してシェイクスピアの関連作品を上演する趣向が仕掛けられている。
9月末に政府や東京都のイベント収容率の制限が緩和されたため、新国立劇場では、観客同士の距離をとるために売り止めていた席のチケット追加販売も始めた。現在わたしたちに求められている新しい日常が、こうして一歩ずつ前進していくのは頼もしいかぎり。その歩みが再び後退することのないよう、それぞれができる対策を心がけたい。
取材・文:宮本明(音楽ライター)

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
2020/2021シーズン オペラ『夏の夜の夢』
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/a-midsummer-nights-dream/
■会場:新国立劇場 オペラパレス
■日程:2020年10月4日(日)14:00、6日(火)14:00、8日(木)18:30、10日(土)14:00、12日(月)14:00
<スタッフ>
■指揮:飯森範親
■演出・ムーヴメント:レア・ハウスマン(デイヴィッド・マクヴィカーの演出に基づく)
■美術・衣裳:レイ・スミス
■美術・衣裳補:ウィリアム・フリッカー
■照明:ベン・ピッカースギル(ポール・コンスタブルによるオリジナルデザインに基づく)
■舞台監督:髙橋尚史
<キャスト>
オーベロン:藤木大地
タイターニア:平井香織
パック:河野鉄平
シーシアス:大塚博章
ヒポリタ:小林由佳
ライサンダー村上公太
ディミートリアス:近藤 圭
ハーミア:但馬由香
ヘレナ:大隅智佳子
ボトム:高橋正尚
クインス:妻屋秀和
フルート:岸浪愛学
スナッグ:志村文彦
スナウト:青地英幸
スターヴリング:吉川健
■児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
宮本明 Akira Miyamoto
東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。『レコード芸術』『音楽の友』『GRAND OPERA』など音楽雑誌の編集部勤務を経て、2004年からフリーランスの音楽ライター、編集者として活動。雑誌、インターネット媒体への寄稿、音楽書籍の編集、CD録音の監修・制作など、形態を問わず音楽関連の仕事を手がけている。