2019 / 02 / 05
新国立劇場『紫苑物語』~公開トークイベント「二の矢」レポート(1月31日/新国立劇場中劇場)

写真:新国立劇場提供
新国立劇場で2月17日(日)に世界初演の幕を開ける西村朗『紫苑物語』。今シーズンからオペラ芸術監督に就任した大野和士が掲げる新たな計画のひとつ、「日本人作曲家委嘱シリーズ」の第1弾とあって、大野監督の熱の入れようもひとしおだ。昨年10月に続いて2度目のトークイベントが開催された(1月31日新国立劇場中劇場)。イベントに出席したのは公演指揮者でもある大野和士と、作曲者の西村朗。作品の監修者でもある音楽学者の長木誠司が進行役を務めた。

スコアを手に話す大野和士(写真:新国立劇場提供)
この作品を「日本のオペラの革命」と公言する大野。画期的なポイントのまずひとつめは、かねて大野が主張しているように、二重唱から四重唱まで、多くの重唱を有効に活用していること。同じ歌詞をただ多声部で「ハモる」ということではない。かのヴィクトル・ユゴーがヴェルディ『リゴレット』第3幕の有名な四重唱を評して、「4人に同時に話させて観客にその言葉と感情を理解させることができるとは!」と感嘆したように、複数の登場人物が同時に別々の歌詞を唱えてもカオスにならずに聴き取れる重唱は、芝居にはない、音楽だけの特権、オペラならではの魅力なのだ。もちろん、重唱が成立するための題材を吟味して選び、それにふさわしい台本を作成する必要がある。

作品完成までのプロセスを語る西村朗と大野(写真:新国立劇場提供)
もうひとつの「革命」ポイントが、作品完成までのプロセスだ。企画段階から、台本の佐々木幹郎、作曲の西村、指揮の大野、そして演出の笈田ヨシが何度も顔を合わせて侃侃諤諤の議論を重ね、改訂を繰り返しながら作り上げてきた。「たとえばヴェルディとピアーヴェや、R・シュトラウスとホフマンスタール。オペラ史上有名な作曲家と台本作家のコンビのようなやりとりができた」と大野は意義を語るが、実際に度重なる改訂を強いられた西村にとっては、難しい面もあった。
「横槍(笑)が入って書き直すのは厳しい作業。慣れない体験だったが、書き直すたびにステップアップできている実感はあり、今までの自分では思ってもいなかったものが出てきた。自分一人ではこうはならなかった」
西村のスコアは鉛筆による手書きなので、改訂の際は、書き直した箇所をハサミで切って原譜の上に貼ってゆくのだそう。「鉛筆とハサミのせいで腱鞘炎になった。作曲家としては成長したかどうかはわからないが、人間としては向上したと思う(笑)」と会場を笑わせつつも、相当な苦労や忍耐があったことをにじませた。

西村は大野の要求を受け入れ、改訂を重ねたという(写真:新国立劇場提供)
大野の理想はかなり高邁で、その要求を次々に入れていった結果、「はたして人間が歌えるのだろうか」(西村)という難度の高い作品になった。これからリハーサル・本番を通じて、作曲側と歌う側、双方のチャレンジがぶつかり合う。それがぶれることなく成立しているのも、大野の「特異な情熱」(西村)があってこそだ。
二人は、1月20日から始まったリハーサルについても手応えを語った。
「台本が音楽とどのように結びつき、そしてその先にどんな情念として解き放たれてゆくのか。歌手のみなさんと研究し、努力したい」(大野)
「楽譜に書いた音に肉体が与えられ、実際のドラマとして時空の中で生き生きと動き始めているのを呆然と見守っている。歌手の皆さんの優れた力量と努力により、難しいパートが克服されてゆくのには、感謝と感動の思いでいっぱいだ」(西村)
西村はまた、大野がすべてのパートを自分で歌いながら歌手たちに要求を伝えるのを見て、「圧倒された。音符の世界ではなく、音符が何をもたらすかという、そのあとの世界から始まっている」と感服したことも語った。

イベントでアリアや二重唱を披露した髙田智宏と臼木あい(写真:新国立劇場提供)
この日は主人公・宗頼役の髙田智宏(バリトン)と、その愛人で狐の化身・千草役の臼木あい(ソプラノ)が、それぞれのアリアや二重唱を披露した。西村朗らしい濃密な音楽。「おそらく世界初」(大野)という、千草が狐の鳴き声で歌う〈狐のカデンツァ〉の技巧的な歌唱は圧巻だ。このソロは、最初の台本では「ケンケン」「コンコン」という一般的なキツネの擬声の歌詞で書かれていたのを、もっとリアルな鳴き声にしようと、大野が専門家に確認し、インターネットなどで自ら音源サンプルを集めて西村に提供したのだそう。どのような「歌詞」に変わったかは聴いてみてのお楽しみだが、このエピソードだけを切り取ってみても、作品への大野の思い入れがよくわかる。
原作は石川淳の同名の代表作。物語について大野は、「自分」を探す芸術家の物語、と語る。平安時代、天才的な歌詠みの才能を示しながら歌を捨て弓の道を選んだ主人公の狂気と苦悩が描かれ、そして最後、自滅と引き換えに手に入れる美しい歌。台本と音楽によって、登場人物のキャラクターの強調など、原作とは異なる描き方もなされているようだ。
モンゴルのホーミーの唱法やバリ島のケチャなども登場するという西村の音楽は、「東西を結ぶダイバーシティ」(大野)であり、和洋漢に通じた知の巨人である原作者・石川淳とも呼応する。
そしてオペラはすでに劇場を飛び出している。在庫がなかった石川淳の原作本が今回、問い合わせが殺到したおかげで久しぶりに重版になった。日本の新作オペラが文芸出版界を動かすなど、そう頻繁にあることではない。これもまた「革命」か。オペラ・ファンならこのムーブメントを見逃すわけにはいかない。「新しいものが生まれる、わくわくするような予感に満ちている」と語った大野の言葉は、そのまま私たちファンの気持ちでもある。初日が待ち遠しい。
宮本明(音楽ライター)

左より、長木誠司(監修)、西村朗(作曲)、大野和士(指揮) 写真:新国立劇場提供
新国立劇場創作委嘱作品・世界初演
紫苑物語 (全2幕・日本語上演/日本語及び英語字幕付)
日程:2月17日(日)14:00/20日(水)19:00/23日(土)14:00/24日(日)14:00
会場:新国立劇場 オペラパレス
作曲:西村朗
台本:佐々木幹郎
指揮:大野和士
演出:笈田ヨシ
美術:トム・シェンク
衣裳:リチャード・ハドソン
照明:ルッツ・デッペ
振付:前田清実
合唱指揮:三澤洋史
監修:長木誠司
舞台監督:髙橋尚史
宗頼:髙田智宏(バリトン)
平太:大沼徹(バリトン)
うつろ姫:清水華澄(メゾ・ソプラノ)
千草:臼木あい(ソプラノ)
藤内:村上敏明(テノール)
弓麻呂:河野克典(バリトン)
父:小山陽二郎(テノール)
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京都交響楽団
宮本明 Akira Miyamoto
東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。『レコード芸術』『音楽の友』『GRAND OPERA』など音楽雑誌の編集部勤務を経て、2004年からフリーランスの音楽ライター、編集者として活動。雑誌、インターネット媒体への寄稿、音楽書籍の編集、CD録音の監修・制作など、形態を問わず音楽関連の仕事を手がけている。